|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 十 : [とお] 1. (num) 10 2. ten ・ 十三 : [じゅうさん] 【名詞】 1. 13 2. thirteen ・ 三 : [み] 1. (num) three ・ 号 : [ごう] 1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship ・ 型 : [かた] 【名詞】 1. mold 2. mould 3. model 4. style 5. shape 6. data type ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight ・ 戦艦 : [せんかん] 【名詞】 1. battleship
十三号型巡洋戦艦とは、大日本帝国海軍が八八艦隊計画で計画した巡洋戦艦である。4隻の建造が計画されていたが、ワシントン海軍軍縮条約で全艦が起工前に建造中止となった。 ただし、大正9年(1920年)度補正予算(第43回帝国議会)では第八号~第十一号巡洋戦艦と呼ばれた。〔『戦史叢書 海軍軍戦備<1>昭和十六年十一月まで』 p267、p269〕 なお、第二号~第七号巡洋戦艦は、それぞれ榛名、霧島、天城、赤城、愛宕、愛鷹(高雄)であり、金剛・比叡はそれぞれ伊号巡洋戦艦・卯号巡洋戦艦である。〔『歴史群像シリーズ 帝国海軍の礎 八八艦隊計画』8-8 FLEET PLAN:CHAPTER 1 「八八艦隊」を目標とする計画の誕生と変遷(大塚好古稿) p66〕〔『歴史群像シリーズ 帝国海軍の礎 八八艦隊計画』8-8 FLEET PLAN:CHAPTER 3 16インチ砲10門の戦艦・巡洋戦艦「加賀」型、「天城」型建造(大塚好古稿) p100〕〔『歴史群像シリーズ 帝国海軍の礎 八八艦隊計画』8-8 FLEET PLAN:CHAPTER 4八八艦隊完成案の成立と「紀伊」型以降の建造計画(大塚好古稿) p104〕 ==概要== 八八艦隊計画最後の4隻、13号~16号艦は、紀伊型戦艦で断念された兵装強化のため、41センチ3連装または4連装砲塔を搭載する案、46センチ連装砲塔を搭載する案などが用兵・造船関係者の間で検討されたが、軍縮条約による建造中止までに艦型は決定することなく終わったという。しかし戦時中の軍事雑誌で日本海軍は大正10年(1921年)に46センチ砲8門を積んだ「48000tの戦艦」と「46000tの巡洋戦艦」を計画、建造に着手したがワシントン軍縮会議で廃案になったという解説がなされたほか〔海軍雑誌『海と空』 昭和十九年八月号 p23「艦砲攻撃」(植松尊慶稿)〕 、戦後になると46センチ連装砲塔4基8門を搭載、加賀型戦艦や紀伊型を上回る厚さの防御装甲を持ちつつ30ノットを発揮する、「十三号型巡洋戦艦」として計画されていたと喧伝されるようになった(要目を参照)。330mmの装甲は後の大和型戦艦に比べるとかなり見劣りがするが、計画当時の砲弾性能においては、46センチ砲弾に耐えうるとされた。 しかし、すでに48センチ砲が試作されていたものの46センチ砲の製造については白紙の状態で、建造期間や製造設備などの問題から46センチ砲の量産・搭載する目途は立たなかったという説、また紀伊型戦艦と同様に排水量が計画値を上回って速力30ノット発揮は不可能だっただろうという説など、近年は従来伝えられていた要目に疑問を呈する見方も浮上している。 なお、予算上では、「屯数(排水量)」は紀伊型と等しい41000トンとされ、「金額(1隻当たりの建造費)」は37424800円で、「屯当たり単価」は紀伊型より約4円高い約913円とされた。〔『戦史叢書 海軍軍戦備<1>昭和十六年十一月まで』 p267~p268〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十三号型巡洋戦艦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Number 13-class battleship 」があります。 スポンサード リンク
|