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十亀 剣(とがめ けん、1987年11月7日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(投手)である。 == 経歴 == === プロ入り前 === 愛知県豊田市出身〔広島 “館山タイプの”十亀を外れ1位候補に スポニチ Sponichi Annex 2011年9月27日掲載〕。小学校4年生の時に野球を始め、中学生時代は「豊田リトルシニア」でプレーし、3年生の時に全国大会出場を経験した〔好調西武を支えるサイドスロー右腕 4年目の十亀剣の球歴とは? BASEBALL KING 2015年7月13日掲載〕。 愛工大名電高校1年生の時に監督の指示で投球フォームを今までのオーバースローからサイドスローに変更した〔。チームが優勝した3年生時の春の選抜大会では、準決勝の対神戸国際大附高校戦に2番手で登板し、4回を投げ1失点だった〔。夏の甲子園・全国大会1回戦の対清峰高校戦では7回に2番手で登板し、同点の延長13回に決勝点となる2点を奪われ、チームは敗退した〔8月9日(第4日) 1回戦 清峰(長崎) 4 - 2 愛工大名電(愛知 朝日新聞デジタル〕。高校時代は2学年上に堂上剛裕、1学年上に丸山貴史、同級生に柴田亮輔、1学年下に堂上直倫、2学年下に柴田章吾がいた。 日本大学では1年生の春から東都リーグ戦に登板〔。1部での大学通算成績は21試合50回1/3を投げ0勝1敗、防御率3.58で〔別冊宝島 プロ野球選手データ名鑑2012 宝島社発行 45頁〕、2部通算では30試合に登板し7勝7敗だった〔週刊ベースボール2011年12月5日号(雑誌20442-12/5) ベースボール・マガジン社発行 120 - 123頁「挑戦 十亀剣」〕。 大学卒業後はJR東日本に入社。1年目、第81回都市対抗野球大会1回戦で救援登板し、1回を投げ無失点だった〔第81回 都市対抗 本大会 8月29日 東京ドーム 第2試合 1回戦 公益財団法人 日本野球連盟〕。2年目の2011年、10月に行われた第39回IBAFワールドカップの日本代表に選出され〔 全日本アマチュア野球連盟(BFJ)〕、2試合での先発登板を含む3試合に登板した〔、、〕。 2011年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに1巡目で指名され〔2011年 ドラフト会議開催! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2011年10月27日配信〕、契約金1億円プラス出来高5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)で合意し〔ドラ1右腕・十亀“かめはめ波投法”で10勝目指す スポニチ Sponichi Annex 2011年11月22日掲載〕、入団。背番号は21に決まった〔2011ドラフト指名6選手 入団発表会! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2011年12月7日配信〕。 10月22日から行われた第82回都市対抗野球大会では3試合に先発登板、計14回1/3を投げ奪三振13、自責点3だった〔第82回 都市対抗 本大会 10月24日 京セラドーム大阪 第2試合 1回戦 、第82回 都市対抗 本大会 10月29日 京セラドーム大阪 第3試合 2回戦 、第82回 都市対抗 本大会 11月1日 京セラドーム大阪 決勝 公益財団法人 日本野球連盟〕。決勝の対NTT東日本戦では、同じドラフトで同じ西武から2位指名を受けた小石博孝と投げ合い、自身は2回1/3を投げ降板したが〔第82回 都市対抗 本大会 11月1日 京セラドーム大阪 決勝 公益財団法人 日本野球連盟〕、チームは勝利し初優勝した〔第82回都市対抗野球大会 公益財団法人 日本野球連盟〕。この大会では大会優秀選手に選ばれた〔第82回都市対抗野球大会表彰選手一覧 公益財団法人 日本野球連盟〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十亀剣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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