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十全武功(じゅうぜんぶこう)は、清の第6代皇帝乾隆帝が18世紀に行った10回の対外遠征である。 乾隆帝はこれら10回の遠征を十全武功と言って誇り、自身を十全老人と呼んだ。これにより清の版図は最大規模にまで広がった。遠征は以下の通り。 *ジュンガル(1755年、1755年 - 1759年) *四川の金川(1747年 - 1749年、1771年 - 1776年) *ネパール王国(ゴルカ朝、グルカとも)(1788年 - 1789年、1791年 - 1792年清・ネパール戦争、)。ネパールとチベットとの紛争にチベット側の宗主国として介入、 ネパールを朝貢国とする。 *回部及びバダフシャーン(1757年-1759年) *台湾() *緬甸(1765年 - 1769年清緬戦争)。)乾隆30年代に緬甸に内乱が起こり、乾隆帝はこれに介入して乾隆34年(1769年)にコンバンウン朝を朝貢国とした〔増井p.120〕。 *越南 。乾隆53年(1788年)にベトナムが王朝交替で乱れるとこれに介入して、同じく朝貢国とした〔増井p.120〕。 これらの遠征により、ラオス、タイまで朝貢するようになった。十全武功も乾隆帝は「全て勝った」と言っているが、西域では酷い苦戦もあり、越南、緬甸など実質的には負けの遠征もあった。また、苗族の反乱(、)や白蓮教徒の乱などが起こった。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十全武功」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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