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十島村役場(としまむらやくば)は、日本の地方公共団体である鹿児島県鹿児島郡十島村の執行機関としての事務を行う施設(役場)である。 日本の町村役場としては数少ない、自治体の外に設置されている役場の一つ〔災害などの理由で仮移転した場合を除く常設的なものとしては、十島村の他に概要の項で解説している三島村が鹿児島市に、沖縄県八重山郡竹富町が石垣市に役場を置いている。過去には青森県下北郡東通村も隣接するむつ市に村役場を置いていた。〕。 == 概要 == 大隅諸島と奄美群島の中間点に連なるトカラ列島(下七島)を村域とする十島村は、大隅諸島に属する屋久島の北西部に点在する上三島と共に薩摩国川辺郡に属し「川辺郡十島」と称されていた〔十島村略年表 (十島村役場)〕。川辺郡十島は廃藩置県で鹿児島県の所属となったが、離島が点在し運輸・通信の円滑な実施が困難であることから「町村制を施行せざる島嶼指定の件」に基づき自治体は設置されず、奄美大島の金久支庁(現在の大島支庁)が管轄することとなった。1897年には所属の郡が旧薩摩国川辺郡より旧大隅国大島郡へ変更となった後、1908年4月1日に島嶼町村制の施行でようやく上三島と下七島を村域とする大島郡十島村(じっとうそん)が発足した〔。 村役場は中之島に置かれたが、1945年の太平洋戦争終結後に連合国軍総司令部は北緯30度線以南の接収を宣言し、1946年2月2日を以てトカラ列島は奄美群島と共にアメリカ合衆国の施政権下に置かれることとなった。この結果、十島村は日本に帰属する上三島とアメリカ施政権下の下七島で分断されることとなり、日本に残された上三島は十島村からの分村手続きに入るが1952年2月4日に下七島は奄美群島(1953年12月25日返還)に先立って日本へ返還された。これに伴い、先に分村手続きを進めていた三島村と同じ2月10日に下七島を村域とする十島村(としまむら)が新たに発足した。 分村した三島村が当初から村外の鹿児島市に村役場を置いているのに対し〔三島村役場は分村前にトカラ列島がアメリカ施政権下となり、中之島の役場を失った上三島が鹿児島市に設置した旧十島村の仮役場を前身としている。〕、十島村は日本へ返還された後も村内の中之島に役場を置いていたが、1956年には鹿児島市への船での移動に時間がかかることなどを理由として三島村と同様、村外の鹿児島市へ移転して現在に至っている〔。1973年には三島村・十島村とも揃って大島支庁の管轄を離れ、鹿児島県庁企画部離島振興課の直轄地域となったことに伴い所属の郡が大島郡から鹿児島郡へ変更された。 役場が村内に無いことで村の職員は大半が鹿児島市に居住しており村に税収が入らないことや〔トカラ列島と宝島 (日本実業出版社「森岡浩の人名・地名おもしろ雑学」)〕、役場の職員が村民の要望を直に聞く機会が逸失しているなどの問題点も指摘されており〔羽原, p32 - 33。〕、村に属する島で最大の人口を有し旧十島村時代に役場を置いていた中之島を候補地として役場を再移転する案なども出されているが具体化には至っていない。2003年に実施された村民アンケートでは「鹿児島が便利なので今のまま」53.5%・「自分の島以外なら鹿児島のまま」10.8%・「どこの島でも移転に賛成」20.8%で、過半数の村民が村外の鹿児島市に役場が在る現状を支持していると言う結果であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十島村役場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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