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十文字 友和(じゅうもんじ ともかず、1976年6月9日 - )は、青森県三戸郡階上町出身で陸奥部屋(入門当時は立田川部屋)に所属した元大相撲力士。本名同じ、愛称はモン。身長185cm、体重160kg、血液型はB型。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭6枚目(2003年7月場所、2004年3月場所)。2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。 == 来歴 == 漁師の長男で、小学校時代は野球部に所属しており、相撲は中学校に入ってから始めた。本人と親族の希望で高校通学を入門の条件として立田川部屋へ入門した。しかし、ちゃんこ番免除等の特別扱いが兄弟子の不評を買ってしまい、結局、高校は中退に追い込まれた。 1998年1月場所において階ヶ嶽の四股名で新十両へ昇進し、その1月場所では5勝10敗と大敗して1場所で幕下へ陥落した。1999年11月場所において十両へ復帰し、2000年5月場所に新入幕を果たした。左四つ寄り・突き押しを得意としたものの、左半身になる癖があり、全体的に取り口も遅く、幕内には24場所連続在位を含めて全34場所在位しながらも、2桁勝利、三賞受賞、前頭5枚目以内在位、横綱・大関との対戦のいずれも経験しなかった。 2000年には立田川親方(元関脇・青ノ里)の定年退職に伴い立田川部屋が閉鎖されたため、敷島や豊桜らと共に陸奥部屋へ移籍した。 2007年3月場所の13日目から右肩鎖関節靱帯損傷及び右肩打撲により休場(幕内では初)し、十両へ陥落した翌5月場所以降も不振が続き、2008年1月場所において幕下へ陥落した。2009年3月場所に東幕下2枚目の位置で勝ち越しを決め、翌5月場所において十両へ復帰したものの、2010年1月場所において西十両14枚目の位置で6勝9敗と負け越し、翌3月場所に再び幕下へ陥落した。同年7月場所において東幕下12枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて幕下優勝を果たし、内規によって翌9月場所に再び十両へ復帰したものの、その9月場所と続く11月場所では共に4勝11敗の成績と全く振るわず、2011年1月場所において幕下へと陥落した。 2011年に発覚した大相撲八百長問題では、八百長に関与した力士として特別認定調査委員会から名前が挙がり、同年4月1日に引退勧告を受けた〔八百長関与23人に厳罰=理事3人も引責辞任-相撲協会 時事ドットコム 2011年4月1日〕。同年4月5日に日本相撲協会へ引退届を提出して受理された〔19人が引退・退職届 谷川親方だけ提出せず MSN産経ニュース 2011年4月5日〕。それから約2ヶ月後の6月4日に国技館で断髪式を行った。八百長認定力士が国技館の貸し出しを認められたのはこの例で2件目であった。〔八百長関与で引退の十文字が断髪式…15人目 2011年6月5日 06:00 Sponichi Annex〕 引退後は青森に帰郷し、新聞配達を行って生計を立てているという。母の証言によると、引退直後から胃潰瘍に悩まされ2013年5月ごろには体重が100kgにまで落ちたとのこと。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十文字友和」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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