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十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの〔影山純夫『禅画を読む』淡交社 2011年、ISBN 9784473037268 pp.121-124〕。十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)ともいう。中国宋代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵(かくあん)禅師によるものが有名。 == 概説 == 廓庵禅師の十牛図には弟子の慈遠和尚により「どんな人にも仏の真源、仏性が備わっているが、迷いの世界に入り込みもがき苦しんでいるので、そこから逃れる方途をこれまでも示されてはきたがそれらは不十分であったので、新たに廓庵禅師は牧牛によってその方途を示された〔」と頌が加えられている。 巻子、画帖など、また掛幅1幅に10描いたものもある。中国伝来のものもあるが、絶海中津や周文など日本の室町時代以後の禅僧、また絵画の各派の画人によって制作されたものもある。10図すべてを描いた作例よりも、1場面だけを描いた「牧牛図」の作例が数多く見られる〔。 十牛図は以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。 # 尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。 # 見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。 # 見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。 # 得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。 # 牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。 # 騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。 # 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。 # 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。 # 返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。 # 入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十牛図」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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