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十輪院(じゅうりんいん)は、奈良県奈良市十輪院町にある真言宗醍醐派の寺院である〔奈良市史 社寺編 p.112〕。山号は雨宝山〔。本尊は石造の地蔵菩薩。開基(創立者)は朝野魚養と伝える。江戸・明治期の町並みが残る奈良町の一角に位置する。 == 歴史 == 元は大寺院だった元興寺の別院とされ、寺伝によると奈良時代に右大臣・吉備真備の長男である朝野宿禰魚養が、元正天皇の旧殿を拝領し創建したと伝わる〔。その後、弘仁年間には弘法大師が留錫したという〔。朝野魚養は能書(書道の名人)とされ、空海の書の師ともいうが、伝記のはっきりしない人物である。十輪院については、『大和名所記(和州旧跡幽考)』のような近世の地誌類には弘法大師(空海)の創建とも伝え、創建の正確な時期や事情については不明である。 「十輪院」の名称の文献上の初見は、鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』(弘安6年・1283年成立)とされている〔知足院、福智院、十輪院などに霊験あらたかな地蔵があったと記載されている。〕〔十輪院の寺名は、『地蔵十輪経』に拠ったものと考えられている〔。現存する本堂、石仏龕(せきぶつがん)、東京へ移築された宝蔵などはいずれも正確な年代は不明ながら鎌倉時代のものとされており、鎌倉時代には地蔵信仰の寺院として栄えていたと思われる。 中世以降は庶民の地蔵信仰の寺として栄えた。室町時代、天正13年(1585年)までは院領300石を所領したが、豊臣秀長に没収され、また兵乱により堂宇宝物なども大きく被害を受けた〔。しかし慶長7年(1602年)に徳川家康より、添上郡肘塚町・法華寺町内に寺領50石の寄進を受け〔角川日本地名大辞典 29 奈良県 p.561〕〔奈良坊目拙解・大和名勝志〕、本堂、石仏龕の修復などが進み、一般大衆の地蔵信仰の高まりと相まって次第に寺勢は興隆した〔。 明治維新後は校倉の宝蔵を手放すなど、一時寺勢は衰えたが、1955年(昭和30年)に本堂・南門の文化財としての解体大修理が行われ、以降1962年(昭和37年)に不動堂の修理、1976年(昭和51年)に御影堂の解体修理と続き、境内が整っていった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十輪院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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