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千乃 裕子(ちの ゆうこ、本名・増山英美、1934年1月26日(3月2日説もある) - 2006年10月25日) は、啓蒙団体千乃正法の代表。大阪府池田市出身。池田市に住む以前は京都市に住んでいた。梅花短期大学卒業。 == 人物像 == * 自らを、彼らが崇拝する「ミカエル大王」の妃であると主張している。また、思想的には反共主義の立場を取っている。2003年前期にパナウェーブ研究所による白装束集団の謎の大移動はワイドショーなどで大々的に報道され、世間を騒がせた。 * 末期がんの患者であると主張していたが、監察医・上野正彦の話によれば実際の死因は脳梗塞か心筋梗塞だという。 * 共産ゲリラから「しめつけ痴漢ビーム」による失禁攻撃を受けている、と主張している。 * ハエを可愛がり、一匹ずつに名前をつけているという。 * 南京事件は、ソ連軍による日本人虐殺だったと主張している。 * 著書などで、共産主義者をはじめとする左翼を激しく非難している。 * 30歳代後半に自宅近くの商店街をストリーキングしては他人の目を惹いていたのは事実であったと、当時の商店街会長の証言がある。更にこの件について裁判沙汰となったが敗れた。千乃裕子が千乃正法会を立ち上げたのはさらに後年で、GLAの開祖高橋信次が亡くなってからである。その時はすでに40歳代半ばで美貌では信者は集まらなかった。信者が集まったのは、千乃裕子が高橋信次の後継者であると名乗り、たま出版から著書「天国の扉」を出版し、当時すでに後継者としてGLAの指導者となっていた高橋佳子(高橋信次の娘)の教義に不満を持つGLA信者の一部から支持を得たからである。しかし、千乃正法会を立ち上げる際に支援した支持者たちは千乃裕子に接し実像を知ると失望し、次々と脱会し、初期からの千乃正法会幹部は数人が残る程度となり他は全て新しいメンバーで占められた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千乃裕子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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