|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 千 : [せん ち, ち] 【名詞】 1. thousand 2. many ・ 千代 : [ちよ] 【名詞】 1. (1) thousand years 2. (2) very long period 3. forever ・ 代 : [よ, しろ] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ 大海 : [たいかい] 【名詞】 1. (1) ocean 2. large sea
千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ、1976年(昭和51年)4月29日 - )は、大分県大分市出身(出生地は北海道千歳市)で九重部屋所属の元大相撲力士。本名は須藤龍二(すどう りゅうじ)、旧姓は廣嶋(ひろしま)。現役時代の体格は身長181cm、体重163kg。得意手は突き、押し、突っ張りからの叩き、左四つ。趣味は音楽鑑賞(特にロックやパンク系)、インターネット。最高位は東大関。現在は、年寄・佐ノ山。 == 来歴 == === 大相撲入門まで === 子供の頃から巨漢で、当時のあだ名は「ブッチャー」。しかし運動好きで学校から帰ると毎日のように近くの海岸で友達とドッジボールをしていた。中学校時代は大変な悪童として有名になり、2桁人数の高校生相手に単身で喧嘩して勝つなどの武勇伝を轟かせ、大分県最大で九州でも1、2を争う勢力の暴走族「十二単」を率いていた。さらにやくざ数人と喧嘩した所、相手のやくざに気に入られ、スカウトされたことがあった。佐賀県出身で同年代のはなわ曰く「大分の龍二と言えば僕でも知っている位の凄く有名な人だった」。荒んだ生活ぶりから母には心中を求められたこともあるという。〔日本テレビ『誰だって波瀾爆笑』2013年9月8日放送〕ただ、不良少年(ヤンキー)ではあったものの、柔道を習っていたこともあり目上の人間には礼儀正しく、先生の言うことは素直に聞き、弱い者いじめもしなかったとされる。また、卒業式では涙を見せる場面もあった。 小学校5年時に、競技を始めてからわずか1年のキャリアで柔道の全国大会で3位入賞、中学3年時には年齢を偽って参加した極真空手の九州大会で3位入賞するなど、格闘センスは抜群であった。空手の得意技はローキックと掌底。 その他、中学校時代に市内の相撲大会に出場し優勝を果たしたが、決勝戦の相手がパンクブーブーの佐藤哲夫であった。 大分東明高等学校を担任の推薦で受験するも不合格。中学卒業後は一時鳶職に就くが、母親を安心させたいと大相撲入りを決意する。そして、どうせなら最も強い人の弟子になろうと、相撲についてはほとんど知識がなくとも名前だけは知っていた元横綱千代の富士の九重部屋へ入門志願に出向く。ところが剃りを入れた金髪のままの姿を見た九重には、「その前にこの頭を何とかしてこい!」と一喝される。さすがの九州一の悪童もすくみ上がったものの、喧嘩に明け暮れた廣嶋少年は徒心を出して取り組み時に九重の力量を試みるも瞬時に伸されてしまい、以降、師として仰ぐ。後、丸刈りの髪型にしたうえで再び九重部屋の門を叩いたという。千代大海の大関昇進後、九重は、報道・バラエティ番組などで笑い話としてこのいきさつをしばしば回想している。さらにはこの頃のエピソードとして、「どうして相撲をやろうと思ったの?」と聞いたところ「親孝行がしたいからと言ってきた」とも述べ、「それでこの子は頑張れるなと思いましたね」とも語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千代大海龍二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|