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千代田区(ちよだく)は、東京都の特別区の一つ。1947年(昭和22年)3月15日に麹町区と神田区が合併して誕生した〔山口恵一郎 『日本地名辞典 市町村編』 東京堂出版、1980年10月。ISBN 978-4490101355〕。その際、江戸城の別名である「千代田城」に因んで「千代田区」となった。 東京の都心を構成する区の一つで、東京23区のほぼ中央に位置する〔。区の中央に皇居があり、区全体の約15%を皇居の緑地が占める。区域は、「江戸城」の外濠の内側部分とほぼ一致しており、外郭を含めた城址に当たる場所である〔鈴木理生 東京にふる里をつくる会編 『千代田区の歴史 東京ふるさと文庫 5』 名著出版、1978年3月。〕。 西部は武蔵野台地の東端に当たる麹町台や駿河台といった台地で、東部は沖積平野である。北部に神田川が東に向かって流れ、日本橋川が三崎橋付近から分かれて流れている〔。 千代田区は、徳川幕府の本拠地として政治の中心となり〔、明治維新後も新政府が大名屋敷跡に官庁街を開設して首都機能を置いて「東京」の中心地としており〔『千代田區史』 千代田区、1960年。〕、日本の政治の中心が引き続き置かれることになった〔。 == 歴史・概要 == 古来より荒川や利根川(現在の古利根川がかつての水路)、多摩川の河口部に近く、日比谷入江があったことから、海と川を利用した水運の根拠地となり、関東地方における流通の中心地としての機能を果たしていたといわれている「江戸湊」も当地区にあった〔。 江戸時代には、掘割沿いに河岸と呼ばれる流通基地が整備され、現在の中央通りに当たる「通町筋」には「伊勢屋」の屋号を名乗る伊勢商人などの上方の商業資本が多く進出しており、問屋機能の集積が進んだ〔。 神田地区は、江戸時代から幕府御用の儒学者が集まった昌平校があり、民間の学者も多く住んで私塾が多数あった学問の盛んな地であったが、近代以降も私立大学が多数立地して学問の盛んな文教地区となっている〔。こうした学問の盛んな伝統の影響もあり、神田の一角にある神保町には書店街が形成され、出版社も多く立地している〔。 江戸時代の神田川の付け替えで分離されて、江戸城の川を挟む形となった神田の北部は外神田と呼ばれるようになった〔。江戸時代に火災の延焼を防ぐため、約9,000坪の広場が作られて遠江の秋葉神社が勧請されたことから、この地区は秋葉原と呼ばれるようになり、第二次世界大戦に露店商が集積し、そこから電気部品を扱う店舗が集まる「秋葉原電気街」が発達した〔。 明治以降、国会・首相官邸・中央省庁・最高裁判所などの三権をはじめとする日本の首都機能、主要政党など国家権力の中枢が千代田区に集中し、日本の立法・行政・司法の中心である。区内の永田町、霞が関といった地名は国会議員や官僚の代名詞である。 1891年(明治23年)に丸の内が三菱に払い下げられて政府機関などに隣接するオフィス街が建設され、政府との間での人脈構築や情報の収集しやすさから当地区に大手企業の本社が多数立地するようになり、経済面でも中心的な機能を果たすようになった〔。その結果、丸の内や大手町、日比谷は都市銀行(メガバンク)の本店や全国紙の新聞社をはじめ、大手製造業や大手総合商社などの巨大企業の本社機能が集結している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千代田区」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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