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千代皇 王代仁(ちよおう みよひと、1991年5月29日 - )は、鹿児島県大島郡与論町出身で九重部屋所属の現役大相撲力士。本名は基 王代仁(もとい - )。身長179cm、体重153kg、血液型はA型。得意手は右四つ、寄り、吊り。好物はアイスクリームとマカロニサラダ。〔「皆を元気づける力士に」 千代皇に“両親”エール 琉球新報 2013年6月2日〕最高位は西十両2枚目(2014年1月場所、2014年11月場所)。 == 人物 == 与論島出身で、小学校と中学校は地元与論町の学校に通っていた。高校は沖縄県立中部農林高校に通い、相撲部に所属した。2年生になってからは相撲部の1年後輩の男子に勧められ、卒業までの2年間はその男子の実家で下宿生活を送るようになった。下宿先の夫妻からは好物(先述)をしばしば振る舞われていたという。高校卒業後は九重部屋の誘いを受けて入門し、2010年3月場所に初土俵を踏んだ。この時の四股名は本名と同じ基だった。 初土俵場所は前相撲を2連勝で1番出世。その後は序ノ口を1場所、序二段を3場所で順調に通過し、初めて三段目に上がった2011年1月場所から、四股名を千代皇に改めた。その場所こそ負け越したが、その後2場所続けて6勝1敗の好成績を挙げて同年9月場所から幕下の土俵を務めている。九重(元横綱・千代の富士)曰く「口で言って覚えない」力士であるそうだが、九重が稽古を分析した内容を弟子達にメールで指導するという手法を扱ったことで相撲の腕が着実に上がっていった。〔日本テレビ『誰だって波瀾爆笑』2013年9月8日放送分〕 2012年1月場所は土付かずの4連勝と絶好調であったが、5番相撲でそれまで本割では負け知らずの25連勝であった佐久間山に負け、佐久間山に史上1位タイとなる初土俵からの26連勝を記録される(その後佐久間山の連勝記録は単独1位となる27連勝まで伸びた)。一方の千代皇はその後も2連敗を喫してしまい、最終的には4勝3敗であった。しかし、この勝ち越しから好調が始まることとなり、勝ち越しが続いて同年7月場所で幕下15枚目以内の地位に初昇格。11月場所は負け越したが、西幕下5枚目で5勝2敗とした2013年3月場所後には、与論島からは初めてとなる関取への昇進が決定した。〔新十両・千代皇「満足せず上目指す」 スポーツ報知 2013年3月27日閲覧〕新十両として迎えた翌5月場所では7勝8敗の負け越しを喫して1場所で関取の地位を明け渡したが、翌7月場所では5番相撲で不戦勝に恵まれる幸運もあって4勝3敗の勝ち越しを果たし、9月場所は自身最高位タイの東十両14枚目に復帰して十両で初めての勝ち越しを果たした。翌11月場所は番付運に恵まれ5枚半上昇の西十両8枚目に昇進し、自己最高位を更新する。〔この場所は十両力士の内勝ち越し者が半数を切り、把瑠都が場所前に引退して栃ノ心が場所を全休した上に、さらに2ケタ白星が5人、皆勤2ケタ黒星が4人という顕著な星の割れ方をしていた。これらが番付運に大きく関係した。〕その次の11月場所では同じ十両で13勝して優勝を果たした千代鳳や11勝した兄の千代丸(単独の十両優勝次点)と比肩する10勝の好成績を残し、2014年1月場所は自己最高位を大きく更新した西十両2枚目の地位を与えられた。しかしこの場所は直前の稽古総見で腰を痛めた影響で得意の吊りを自粛せざるを得なかったことから〔『相撲』2014年2月号64頁 : 「流石に吊りをやったら師匠に怒られる」と本人が誌上でその症状を物語っていた。〕いいように寄り切られる場面が目立ち〔負けた10番中9番が寄り切りであった。〕、10日目に負け越しが確定してしまい5勝10敗の不振に甘んじた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千代皇王代仁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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