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千代翔馬 富士雄(ちよしょうま ふじお、1991年7月20日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で、九重部屋所属の現役大相撲力士。本名はガンバータル・ムンクサイハン(モンゴル語キリル文字表記:)。身長183cm、体重130kg。最高位は東十両10枚目(2016年3月場所)。得意手は押し、左四つ、投げ。愛称は、フジオ、ウミオ、ガンバ。 == 来歴 == 父親はモンゴル相撲の大関。子供の頃はどこへ行くにも父親がそばにいたというが、そんな父には柔道や相撲の練習にばかり連れて行かれたという。さらに父親が朝青龍の父親と知り合いという関係もあって、いずれ角界入りしようという気持ちもあった。〔『大相撲ジャーナル』2014年9月号97頁〕地元にやってきた九重(元横綱・千代の富士)から声を掛けられた際に「入門したら朝青龍に会えるよ」と口説かれ、九重の紹介によって下積みとして明徳義塾高校へ留学。明徳義塾は2年時に中退して2009年7月場所に初土俵。同期生として碧山がおり、2人は相撲教習所の卒業式同期でもある。〔日本人力士は初土俵の場所後に半年間の通所が義務付けられ、外国人力士はこの期間が1年設けられる。〕のちに九重部屋が高砂一門の中でも外様であることを知ったが朝青龍は一門に拘らず様々な力士と交流する人物であるため特に問題がなかったという。入門当初は87kgという軽量であったため、本人曰く本当にやっていけるかどうか心配だったという。それでもモンゴル相撲の大関として人気を集めていた父親のことを考えると途中で諦めたら恥ずかしいと思い、相撲に打ち込んだという。〔初土俵を控える折に誕生日が海の日であることから四股名候補として「千代の海」が挙がったが、かつてこの四股名を実際に名乗っていた九重部屋出身の元十両・千代の海茂夫〔出羽海部屋から独立した当初の九重部屋に帯同した力士であり、昭和48年5月から9月まで弓取りを務めた一方で東十両7枚目まで昇進した。〕から曖昧な返事しか返ってこなかったことでこれは立ち消えになった。また九重も「よく考えれば三段目に上がる前までは四股名に『千代』が付かないんだった」と発言を変え、当の本人も「モンゴルには海がないから、それでいい」と立ち消えを受け入れていた〔その後、弟弟子の濱町が千代の海を襲名した。〕。初土俵から三段目までは四股名を翔馬と名乗っていた。新三段目となる2010年7月場所からは千代翔馬を名乗るようになり、そこから1年余りかけて初めて幕下に昇進。それから2012年9月場所までは幕下と三段目を往復する状況であったが、翌11月場所から幕下に定着。幕下に定着する前までは部屋の同い年である千代皇や千代丸に水を空けられて悔しい思いをしたといい、これをバネに稽古に打ち込んだという。〔2013年11月場所を東幕下40枚目での5勝2敗、翌2014年1月場所を東幕下25枚目での4勝3敗としたことで続く2014年3月場所は最高位を西幕下18枚目まで更新。さらに2015年11月場所では西幕下3枚目の位置にまで進み、6勝1敗と大きく勝ち越して、2016年1月場所で十両昇進を果たした。〔剣翔、千代翔馬が新十両昇進 再十両は千代の国、出羽疾風 SANSPO.COM 2015年11月25日(2015年11月25日閲覧)〕西十両12枚目に名を連ねて臨んだ同場所では、8勝7敗と見事に勝ち越し。なお、同時に初昇進した剣翔は対になる東十両12枚目で、これまた同じ8勝7敗を記録している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千代翔馬富士雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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