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千坂恭二 : ミニ英和和英辞書
千坂恭二[ちさか きょうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [さか]
 【名詞】 1. slope 2. hill 
: [に]
  1. (num) two 

千坂恭二 : ウィキペディア日本語版
千坂恭二[ちさか きょうじ]

千坂 恭二(ちさか きょうじ。1950年3月18日 - )は、日本評論家、在野の思想家
== 略歴 ==
大阪市に、祖父の代までは地元の庄屋で富裕郷士だった没落旧家の一族の子として生まれる。母方も新潟出自の東京系の旧家で祖父の代は遠縁に華族(都筑男爵家)がいた士族。〔千坂恭二『歴史からの黙示』(田畑書店。1972年刊)〕
1968年頃にバクーニンの総破壊の思想と精神の影響を受けた超過激派のバクーニン主義者として、上宮高校在学の頃からアナキズム運動に参加し、高校生から浪人生の頃は、黒色高校生連盟アナキスト高校生連合全国委員長や大阪浪共闘社会革命左派として活動した。〔『VIEWS』(講談社。1993年12月22日発行、Vol.3 No.24 p.29)〕
1969年10月1日、アナキスト革命連合(ARF)の一員として大阪芸大占拠封鎖の夜襲闘争に突入部隊として参加。大阪府警と奈良県警の河内飛鳥一帯にかけての深夜の広範囲な包囲網と大規模な山狩りによって逮捕される。〔同上〕
1970年に反安保闘争で上京し、闘争後そのまま東京で新左翼としての思想活動を始める。21歳になった1971年に「独学・独断・独行」の「戦後最年少のイデオローグ」(『読書人』)〔『読書人』1972年4月16日発行、第973号〕として松田政男編集の『映画批評』に映画評論を連載し、『情況』『現代の眼』『構造』『現代思想』などでアナキズム論やバクーニン論などの政治思想から文学、芸術について思想を展開。マルクス主義については批判の論陣を展開したが、廣松渉物象化論には深い関心を持った。〔千坂恭二「物象化論とシュティルナー──唯一者と唯物史観の相克と異相」(『情況』1975年4月号)〕
1980年年前後の頃から、エルンスト・ユンガーと、蓮田善明三島由紀夫の感情教育の師とされた国文学者)や日本浪曼派について取り組んだ。文学、歴史や芸術にも関心が強く、イスカリオテのユダワーグナーシェーンベルクその他について執筆し、また20代の時からジョゼフ・ド・メーストルコンスタンチン・レオンチェフなどの反動の思想にも親しんでいる。
1987年に大阪に戻る。
1990年年代に右翼青年民族派牛嶋徳太朗による、戦前の中野正剛東方会機関誌『東大陸』の正式な再刊に参加、協力した。
1995年に45歳で立命館大学文学部哲学科に社会人学生として入学し、1999年に卒業。(※この時まで最終学歴は「高卒」だった。)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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