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千坂智次郎 : ミニ英和和英辞書
千坂智次郎[ちさか ちじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [さか]
 【名詞】 1. slope 2. hill 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

千坂智次郎 : ウィキペディア日本語版
千坂智次郎[ちさか ちじろう]

千坂 智次郎(ちさか ちじろう、慶応4年2月15日1868年3月8日) - 昭和11年(1936年2月23日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将
==経歴==
米沢藩士・千坂高雅の二男として生まれる。米沢中学校攻玉社を経て、明治20年(1887年)7月に海軍兵学校14期)を卒業し、同22年(1889年)9月に海軍少尉任官。練習艦館山分隊長などを経て、日清戦争では「扶桑」分隊長として出征した。
練習艦「満珠」航海長、「高雄」航海長、「須磨」航海長、皇族(有栖川宮威仁親王)付武官、「松島」航海長、「八雲」回航委員、同航海長、「夕霧艦長などを歴任。日露戦争には「初瀬」航海長として出征したが、明治37年(1904年)5月に乗艦が触雷により沈没した。その後、佐世保鎮守府参謀、「出雲」副長、「磐城」艦長、「大和」艦長などを勤めた。
明治40年(1907年)12月、東宮武官となり、「津軽」艦長、「生駒」艦長、「八雲」艦長、舞鶴鎮守府参謀長を経て、大正2年(1913年)12月、海軍少将に進級。佐世保水雷戦隊司令官、佐世保鎮守府参謀長、練習艦隊司令官、教育本部第1部長、第2戦隊司令官などを歴任し、大正6年(1917年)12月に海軍中将となった。さらに馬公要港部司令官、第2遣外艦隊司令官、鎮海要港部司令官、海兵校長、将官会議議員を経て、大正12年(1923年)7月、予備役に編入された。米沢海軍武官会会員。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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