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千曲錦 : ミニ英和和英辞書
千曲錦[せん ち, ち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
: [にしき]
 【名詞】 1. brocade 

千曲錦 ( リダイレクト:若嵐武 ) : ウィキペディア日本語版
若嵐武[わかあらし たけし]
若嵐 武(わかあらし たけし、1924年6月9日- )は、1940年代後半から1950年代にかけて活躍した大相撲力士。現役時代は、西岩部屋(入門時は若松部屋)に所属した。最高位は西前頭18枚目(1951年1月場所)。現役当時の体格は180cm、84kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。
== 来歴・人物 ==
長野県北佐久郡岩村田町(現・同県佐久市大字長土呂出身で、本名は東城 武(とうじょう たけし)である。
16歳の時に上京し、若松部屋(後、西岩部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏み、翌年1月、「若嵐」の四股名序ノ口に付いた。
生まれついての近視であり、それ故に相手から離れての取り口が困難であった。長身の割に細身で、右四つからの吊りや投げを得意とした。
その後、1949年10月場所で新十両に昇進し、1951年1月場所にて新入幕。だが幕内では苦戦を強いられ、2勝13敗と大負けして1場所で十両へ逆戻りとなった。
以降、約4年もの間十両に在ったが上位での大勝ちが無く、再入幕は成らなかった。東十両22枚目で惨敗し、幕下落ちが決定的となった1955年1月場所を以って、30歳で引退(なお、引退時の四股名は、「千曲錦」である)。
その後は暫くの間、年寄・や同・西岩として後輩達を指導していたが、1967年7月場所後に廃業した。
廃業後は、大阪府内の警備会社に勤務したという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「若嵐武」の詳細全文を読む




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