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引接寺(いんじょうじ)は、京都市上京区にある高野山真言宗に属する寺院である。一般には千本閻魔堂(せんぼん えんまどう)の通称で知られている。春の念仏狂言で知られる。引接とは、仏が我々人間をあの世に導いてくれるという意味である。その名の通りこのお寺は、かつての京都の3大墓地てあった化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)のひとつ蓮台野の入り口に立っている。 == 歴史 == 寛仁年間(1017 - 1021年)、源信の弟弟子の定覚により開山されたと伝える。現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁(802年 - 853年)を開基に仮託する説もある。文永10年(1273年)、明善律師によって中興された。 安土桃山時代、京都に来た宣教師ルイス・フロイスの『日本史』(Historia de Iapan)中に、1565年当時の本寺の境内の様子が記されている。 1574年(天正2年)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられ、京の名所と町衆の姿を描いた 国宝《洛中洛外図屏風》(米沢市上杉博物館蔵)の左隻右上に千本ゑんま堂が描かれている。その境内では銘桜普賢象(ふげんぞう)桜や十重石塔とともに、ゑんま堂狂言「閻魔庁」を演じている様子が描かれている。 千本ゑんま堂大念佛狂言は、昭和39年(1964年)に後継者不足が原因で途絶える。昭和49年(1974年)不審火によって狂言堂が焼け、狂言衣装も焼失する。しかし、翌年には焼け残った狂言面をもとに千本ゑんま堂狂言保存会が結成され、狂言堂は仮建築ながら再建され、以前の西陣講中を中心としたメンバーや一般から募集したメンバーも含めた編成に推移し、以降復活した狂言二十数演目が毎年境内で公開されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「引接寺 (京都市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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