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千葉久 : ミニ英和和英辞書
千葉久[ちばきゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [よう, は]
 【名詞】 1. leaf 

千葉久 : ウィキペディア日本語版
千葉久[ちばきゅう]

千葉久(ちばきゅう)は、かつて岩手県一関市大町(大町商店街)に存在していた〔日本の百貨店である〔「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 3 岩手県』 角川書店、1985年3月8日。ISBN 978-4040010304〕。
==歴史・概要==
「千葉久」は明治中期に呉服店として創業したのが始まりである〔。
1952年(昭和27年)に開業した〔地場資本の老舗百貨店で〔、「福原」や「東光」と共に一関では三大百貨店として並び称された〔。
1973年(昭和48年)3月には資本金150万円で「株式会社千葉久友の会」を設立し、顧客の組織化も図っている〔『会社年鑑 全国上場会社版 下巻 2006年版』 日本経済新聞社、2005年10月。〕。
1975年(昭和50年)に〔ニチイ(後のマイカルで現在のイオン)と提携して〔『岩手年鑑 昭和52年版』 岩手日報社、1975年。〕、一ノ関駅前の大町商店街と駅前通りの交差点角に店舗を移転し〔、「一関ショッピングデパート千葉久」を開業した〔。
この新店舗は〔地下1階・地上5階建てで〔、都会的な感覚を持ち込んだ売り場構成を行って地元の小売業者に大きな影響を与えるとされていた〔。
当店と共に一関では三大百貨店として並び称された「東光デパート」は〔、当店から大町商店街を通って約300mの場所に位置していたが〔、1978年(昭和53年)11月に倒産した〔三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906〕。
この「東光デパート」の跡地には、八戸市の老舗百貨店の三春屋が進出したが、1981年(昭和56年)4月に同社が一関店を含む4店舗を「ダイエー」に譲渡して撤退し〔『日本の歴代市長 市制施行百年の歩み』 歴代知事編纂会、1983年11月。〕、1985年(昭和60年)には「ダイエー一関店」が開業している〔平岡昭利 『東北地図で読む百年』 古今書院、2000年12月。ISBN 978-4772250528〕.
このダイエーの開業により、同店との間にある約300mの大町商店街を買い物客が流れるルートが出来上がっていった〔。
「一関ショッピングデパート千葉久」は〔、1997年(平成9年)9月に一関ICに近い郊外の国道沿いに〔“一関商圏(中)人の流れ中心部を離れる”. 岩手日報 (岩手日報社). (2003年10月7日)〕「一関サティ」が開業するのに伴い〔、1997年(平成9年)8月に閉店してその歴史に終止符を打った〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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