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千葉 親胤(ちば ちかたね)は、下総の戦国大名で、千葉氏の第26代当主。 第25代当主・千葉利胤の嫡男とする説と、第24代当主千葉昌胤の四男(利胤の弟)で、利胤の死去時に他の兄弟が他家を継いでいたために千葉氏に残っていた親胤が嫡子の扱いを受けて家督を継いだとする説がある。 == 概略 == 1547年、父の死去により跡を継ぐ。しかし幼少のため、実権は親後北条氏の立場にあった家臣の原胤清・胤貞父子に掌握された。そして1555年に元服を行うことになったが、同年10月に正木時茂が千葉に攻め込んだために慣例となっていた11月望日に開く事が出来ず、同年12月23日に行われている(『千学集抄』)。 家臣の原胤清・胤貞父子の専横に不満を抱いた親胤は反後北条氏の立場に立ち、同じく反後北条氏の立場にあった古河公方の足利晴氏と手を結んだ。しかしそのために北条氏康の侵攻を受けて捕らえられ、家督を叔父(あるいは兄)の海上胤富に譲渡させられた上で幽閉される。そして1557年、暗殺されてしまった。享年17。 暗殺犯は一般的には北条氏康と言われているが、近年では原胤貞あるいは同族で胤清と権勢を競っていた原親幹が氏康の内諾を得た上で暗殺したものと言われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千葉親胤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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