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千貫樋 (せんがんどい)は、静岡県三島市と静岡県駿東郡清水町をまたぐ鉄筋コンクリート製の樋である。 == 概要 == 楽寿園小浜池の湧水を、清水町に灌漑用水として送水するために、境川の上に架設されている〔出典 : 東部地域施設概要 千貫樋 - 静岡県、2015年3月閲覧〕。全長42.7m、幅1.9m、深さ0.45mで、地上より4.2mの高さを流れる〔。稲作期が終わると、三島市加屋町内に設置されている水門によりせき止められるため水は流れない。 創設された経緯については諸説あるが、1555年(天文24年)、今川、武田、北条の三家が和睦(甲相駿三国同盟)した際に、北条氏康から今川氏真に聟引出物として、小浜池から長堤(蓮沼川)を築き、駿河の今川領に送水させたというのが一般的な説である〔〔出典 : 遠藤秀男・辻真澄『富士・富士宮・沼津・三島・駿東 歴史散歩』静岡新聞社、1987年〕。 この疏水により、駿河側である現在の駿東郡清水町の玉川、伏見、八幡、長沢、柿田、新宿の田畑約130haが多大な恩恵を受けるに至った。 千貫樋の維持管理費は上記新宿村を除く村々が収入に応じた分金額を負担した。新宿村も分担するようになったのは明治時代に入ってからである〔。 江戸時代の享保年間に町奉行で地方御用を兼任した大岡忠相配下の役人である田中丘隅が修理のために招かれたという記録が残っている。 1923年(大正12年)には関東大震災で崩落。その後の復興で鉄筋コンクリートを使用し、従来のものとほぼ同規模で再建されて現在に至る〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千貫樋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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