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懐 素(かい そ、開元13年(725年) - 貞元元年(785年)〔生年は開元13年(725年)と同25年(737年)の両説あり、63歳ぐらいまで生存していたと推定されている。本項は梁廷燦の説(『草書千字文』を参照)に従った。〕)は中国・唐代の書家、僧。字は蔵真(ぞうしん)、俗姓は銭(せん)、零陵の人〔一説には長沙の人。〕で、詩人として有名な銭起の甥にあたる。 == 略伝 == 幼くして仏門に入り、その後、長安に移って玄奘三蔵の弟子となった。修行の暇に好んで書を学んだが、貧乏だったので芭蕉をたくさん植えてその葉を紙の代わりにし、それが尽きると大皿や板を代用して磨り減るまで手習いした。また、禿筆が山をなしたので筆塚を作って供養したという。 その書名は若いときから知られたようで、当時の社交界の名士から多くの詩を寄せられており、『書苑菁華』などにかなり収録されている。大暦12年(777年)、洛陽にのぼり、そこで顔真卿に会い、盧象・張謂などが懐素のために作った詩『懐素上人草書歌』を示して真卿に序を求め、真卿は『懐素上人草書歌序』を書いたという。懐素の名声と実力のほどを伺わせる一件である。 彼は従弟の鄥彤(お とう)や顔真卿から張旭の書を授けられ、さらに風まかせに変化する夏の雲の姿を見て、極まりない形の変化やその自然な布置から悟入したと伝えられる。特に草書にすぐれ、その作風は狂草と呼ばれる草書のなかでも奔放な書体を得意としているが、法を逸脱したものではなく、その実は王羲之の書法を基盤にしている。彼は酒を愛し、酔いにまかせて壁や垣根などにあたりかまわず草書を書き散らしたので、世に狂僧と呼ばれた。その行動も草法も張旭に学ぶものであり、張旭と合わせて張顛素狂(ちょうてんそきょう、顛張酔素・顛張狂素とも)と並称された。 懐素の後世に与えた影響は大きく、唐末から五代にかけて僧侶に草書をよくするものを生み、文人の率意の書の規範となった。また、日本においては良寛が好んで習ったといわれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「懐素」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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