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千頭 久米夫(ちかみ くめお、1922年12月3日 - )は、福岡県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手、外野手)。 == 来歴・人物 == 福岡工業(現・福岡県立福岡工業高等学校)在学中には、甲子園に2回(春1回〈1940年〉、夏1回〈1940年〉)出場〔出身校・都道府県別プロ野球選手リスト(西日本編) 〕。1940年春の大会ではベスト4まで進出した。福岡工時代のチームメイトに、上野義秋,大崎憲司,伴勇資(いずれも後に、西日本鉄道硬式野球部及び西鉄でもチームメイトになる。)がいる。 福岡工業卒業後は、社会人野球のチームを転々とした。藤倉電線→西日本鉄道硬式野球部→豊岡物産→日本コロムビアと所属し、都市対抗野球大会や日本野球界初の天覧試合(豊岡物産時代)にも出場した。の第19回都市対抗野球大会では、遊撃手としてチームの優勝に貢献。この時のチームメイトには、先述の上野,大崎,伴の他に、武末悉昌投手・宮崎要監督兼二塁手・深見安博三塁手・塚本悦郎中堅手がおり、後に西鉄の草創期を形成するメンバーとなった。 にこの年新設された西鉄クリッパースに入団。二塁・三塁・遊撃・外野をこなすユーティリティープレイヤーとして活躍した。9月23日の阪急戦(後楽園スタヂアム)では川口敬次郎から、プロ野球通算5,000号となるメモリアルアーチを放っている(プロ野球記念本塁打一覧参照)。に伴と共に東映フライヤーズに移籍し、翌に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千頭久米夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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