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半旅団(はんりょだん、)は、フランス革命戦争当時のフランス陸軍において初めて用いられた編制単位。准旅団〔柘植久慶『フランス外人部隊 』原書房、1986年。P133。〕 (じゅんりょだん)ともいう。「demi-(ドゥミ)」とはフランス語で「半分の」という意味である。 フランス革命戦争に際して大量の未熟練義勇兵が加わったことにより、歩兵各部隊ごとの練度に著しい格差が生じたが、これを解消するために、熟練部隊と未熟練部隊の混成(アマルガム)で新たに編成したのが半旅団である(「アマルガム#軍事史におけるアマルガム」参照)半旅団指揮官の階級は大佐相当で「シェフ・ド・ブリガード(chef de brigade)」と呼ばれた。 「半旅団」という呼び名は、「連隊」(Régiment)の語が持つ、旧体制(アンシャン・レジーム)の封建的な響きを避けるために選ばれた。しかしナポレオン・ボナパルトは1803年にこの言葉を廃止し、「半旅団」は「連隊」に改称された。「半(准)旅団」という呼び名はその後も特定の部隊、例えば第13外人准旅団などに限って使用された。現在のフランス陸軍の常備組織としての半(准)旅団はその第13外人准旅団のみである。 == 背景 == 1792年4月20日にフランス立法議会はオーストリアへの宣戦布告を決議し、それとともにプロイセンもフランスとの戦いに加わった。1792年の戦況はフランスに有利に推移し、オーストリア領ネーデルラント(現ベルギー)とドイツの一部を征服した。しかし、1793年1月21日に国王ルイ16世をギロチンにかけたことにより、フランスは、オーストリア、プロイセンだけでなく、イギリスやドイツ諸邦、サルデーニャ王国、スペインなどを含む対仏大同盟との戦争を始めることになった。 1793年中頃までには、フランスは1792年に征服したすべての土地を失い、複数の正面で戦っていて、諸外国の侵入を受ける恐れがあった。この揺り返しを覆すために、フランスは数々の手立てを講じた。1793年8月後半、ラザール・カルノーの発案により「国民皆兵(ルヴェ・アン・マッス、)」制すなわち若い未婚の男子に対する大規模な徴兵制を導入した。同じく8月後半には、歩兵部隊を混合編成(アマルガム)する法律も通過し、「半旅団」が形成されることとなった。 半旅団はフランス革命軍の構成要素として1794年に組織され、1個師団は3個旅団から成り、1個旅団は3個大隊から成っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「半旅団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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