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半藤 一利(はんどう かずとし 1930年(昭和5年)5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。 == 来歴 == 先祖は長岡藩士。東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区)に生まれる。実父は運送業と区議をつとめる。近所に幼少期の王貞治が住んでおり顔見知りだった〔「Book Trends 『隅田川の向う側』を書いた半島一利氏に聞く」『週刊東洋経済』2009年4月18日号、pp.142-143〕。東京府立第七中学校に入学、1945年(昭和20年)3月の東京大空襲では逃げまどい中川を漂流し、死にかける体験をする〔「歴史家の顔を持つ、多芸多才な"奇人"」『時代を創った編集者101』寺田博編、新書館、2003年、pp.218-219〕。茨城県の県立下妻中学校を経て、父の生家のある新潟県長岡市へ疎開し、県立長岡中学校3年次で終戦を迎え、そこを卒業後東京へ戻る〔半藤一利「幕末史と日本人」『オール讀物』2009年4月号、pp.194-197〕。浦和高等学校 (旧制) (学制改革のため1年間で修了) を経て、東京大学へ進学。大学ではボート部で活躍した〔〔半藤一利「東京大学漕艇部 昭和20年代概観 」東京大学運動会漕艇部公式サイト内〕。東京大学文学部国文科卒業。 1953年(昭和28年)に文藝春秋新社に入社した。同期入社に田中健五〔篠田博之「文藝春秋vs新潮社 ライバル出版社の新戦略」『創』1988年10月号、p.52〕。流行作家の坂口安吾の原稿取りをして、坂口から歴史に絶対はないことと歴史を推理する発想を学び、冗談めかして坂口に弟子入りしたと称している。続けて当時『連合艦隊の最後』などで人気を博していた軍事記者の伊藤正徳の担当となり、日本中の戦争体験者の取材に奔走し、『週刊文春』に無署名で「人物太平洋戦争」を連載した。このときに歴史の当事者は嘘をつくことを学び、これらの経験が後に昭和の軍部を描いた作品を書く素地となった〔〔。 社内で「太平洋戦争を勉強する会」を主宰して、戦争体験者から話を聞く会を開催。ここから生まれた企画が『文藝春秋』1963年8月号に掲載された28人による座談会「日本のいちばん長い日」である。半藤は座談会の司会も務めた。さらに取材して1965年に単行本『日本のいちばん長い日--運命の八月十五日』を執筆。売るための営業上の都合から大宅壮一の名前を借りて大宅壮一編集として出版された。単行本は20万部、角川文庫化されて25万部が売れた〔〔〔「阿川佐和子のこの人に会いたい 第837回 作家 半藤一利」『週刊文春』2010年8月5日号、pp.126-130〕。この他にも30代前半は編集者生活と並行して、太平洋戦争関係の著作を何冊か出す〔。 『漫画読本』の編集長に就任して1970年に休刊を迎えた後、『増刊文藝春秋』編集長に。ムック「目で見る太平洋シリーズ」「日本の作家百人」「日本縦断・万葉の城」を手掛けた。次いで『週刊文春』編集長となり、ロッキード事件の取材で陣頭指揮を執る〔。1977年4月に『文藝春秋』編集長の田中健五と入れ替わる形で、田中が『週刊文春』編集長に、半藤が『文藝春秋』編集長に就任。新聞広告や電車の中吊り広告で「編集長が代わりました」と宣伝が打たれて話題を集める〔尾崎秀樹、宗武朝子『雑誌の時代 その興亡のドラマ』主婦の友社、1979年、p.54〕。1980年には季刊誌『くりま』の創刊編集長となるが、2年後に第9号で休刊した〔〔篠田博之「文藝春秋vs新潮社 ライバル出版社の新戦略」『創』1988年10月号、p.56〕。 この間の編集長時代の13年ほどは本職に編集業に専念するため、著述活動は控えていた〔。 1992年、『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞を受賞、 出版責任者として「書き下ろしノンフィクション」シリーズを手掛け、1988年に全3巻の『「文芸春秋」にみる昭和史』を監修。専務取締役を務めた後、1995年に文藝春秋を退社し〔、本格的に作家へ転身した。近代以降の日本の歴史を昭和を中心に執筆し、「歴史探偵」を自称する〔。活動の場をテレビにも広げており、NHK『その時歴史が動いた』など歴史番組にもよく出演している。 1998年、『ノモンハンの夏』で山本七平賞、2004年、『昭和史』で毎日出版文化賞特別賞をそれぞれ受賞。 2006年(平成18年)7月20日に『日本経済新聞』が「昭和天皇が靖国神社A級戦犯合祀に不快感」と報じた際には、元資料となった「富田メモ」(宮内庁長官を務めた富田朝彦の日記メモ)を記事化前に秦郁彦らとともに鑑定し、これを本物と断定した。 2009年に語り下ろしで出した『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』は単行本で45万部、平凡社ライブラリーでは23万部の売れ行きを示した〔「著者インタビュー 次のベストセラー作家を探せ! 半藤一利」『宝島』2009年12月号、p.124〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「半藤一利」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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