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(n,vs) death・ 卒去 : [そっきょ] (n,vs) death
崩御(ほうぎょ)は、天皇、皇帝、国王、太皇太后、皇太后、皇后、その他君主等の死亡を表す敬語。死因については特に問わない。 == 解説 == 元々は中国起源の語であり、『礼記』曲礼下篇に「天子の死は崩(ほう)と曰(い)ひ、諸侯は薨(こう)と曰ひ、大夫(たいふ)は卒(そつ)と曰ひ、士は不禄(ふろく)と曰ひ、庶人は死と曰ふ」とある。中国歴代史書では、この死因の敬語はその人物の生前の功績を表すものとして重んじられ、 皇后や大夫の身分にあるものでも、不忠の臣であれば、庶人の礼として死を用いることもあった。例えば資治通鑑では晋の恵帝の皇后賈南風は生前淫乱で悪事をなしたということから、「賜賈后死于金墉城」(賈后に死を金墉城に賜う)〔司馬光、「資治通鑑」晉紀第83卷(晉紀五)「己亥,相國倫矯詔遣尚書劉弘齎金屑酒賜賈后死于金墉城。」〕と表現している。新聞記事等では日本国外の君主の死亡にも使うことがあった。 日本の新聞では、一例として香淳皇后死去の際に産経新聞などを除き「(ご)逝去」としたものが多かった。天皇の死以外には崩御の語を用いない場合もある。〔これは新聞各社の取り決めによるものと思われる。例えば、日本新聞協会の新聞懇話会で取り決めた用字規則を元とする、共同通信社の用字規則『皇室報道について』(記者ハンドブック所収)では、「皇室だけに用いられる特別な用語や敬語は、やさしい言葉に置き換える」としている。共同通信社編『記者ハンドブック』第9版、2002〕 天皇の崩御に際しては、国の行事として「大喪の礼」が営まれる。天皇の崩御から追号が決められるまでの期間の天皇については、「大行天皇」と呼ばれる。 またお隠れになるとも表現する。この表現が天皇についてのみ用いられる理由としては、以下の2説がある(これに限らないかもしれないが未詳)。 * 日本神話において天皇は神の末裔であり、一般の人間とは異なる存在という思想背景があったためと解釈する説 * 天皇が太陽神の子孫であるという思想、即ち「天皇の死亡=太陽が雲に隠れる」から来ている説 「雲隠れ」についても、現在では単に姿をくらますという意味合いで用いられるが、元々は2番目の説に由来する語である。 また、先帝祭は先帝崩御日に毎年斎行される大祭のことである。 なお、前述『礼記』が示す語義から、古代中国においては用いる語によって執筆者の正統観を表現するという筆法が見られる。具体的には、「崩御」と称せば「その人物が正統な天皇・皇帝であると認めた」ことを意味する、などである。たとえば西晋の陳寿は『三国志』を著した際、魏・蜀漢・呉のうち魏の君主のみに「崩」の語を用いることで、正統が魏にあることを示した。司馬光はそれを改めて、三国すべての君主の死を「殂」とした。〔資治通鑑魏紀二。 「漢主(劉備)殂於永安、諡曰昭烈」、同じ巻に「帝(文帝曹丕)殂。」が見え、魏紀七に「呉主(孫権)殂。」が見える。胡三省の注釈では「通鑑の書法、天子にして四海を奄有する者は「崩」と書し、分治する者は「殂」と書す。惟れ東晉の諸帝,先に嘗て混一するを以って「崩」と書す。説文(解字)に曰く、殂とは、往き死ぬ也。」(司馬光は皇帝で全土を統一した正統王朝のものは「崩」とし、三国の君主のように一部を統治したものは「殂」としている。東晋のように、正統王朝を引き継いだものは「崩」とする。「殂」とは往き死ぬということだと説文解字に書いてある)とし、「崩」「殂」の使い分けを厳密に行っている。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「崩御」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Demise of the Crown 」があります。 スポンサード リンク
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