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チョトパジャップ(Jodobjab、、)は清朝・中華民国の軍人・政治家。モンゴル族。デムチュクドンロブ(徳王)らの蒙古自治運動に参加した人物の1人である。字は世海、什海。卓王とも呼ばれる。 == 事跡 == 1900年(光緒26年)、三群馬隊の哨官として軍歴を開始する。清朝の牧場の委協領、正協領を歴任し、1909年(宣統元年)、牧場総管となった。1911年(宣統3年)、モンゴル(外蒙古)軍と国境の達里崗崖で戦う。しかし敗北して捕らえられ、庫倫(ウランバートル)に3年間拘禁された。 帰国後に、チョトパジャップは北京政府から記名副都統に任ぜられた。1915年(民国4年)、匪賊討伐に軍功をあげ、四等文虎章を授与されている。同年、明安牧場長も兼ねた。翌年、バボージャブらを討伐して、これを捕虜としている。この軍功により、陸軍中将に昇進した。1918年(民国7年)8月、安福国会で衆議院議員に選出される。 国民政府成立後の1929年(民国18年)に、蒙蔵委員会駐北平弁事処副処長に任ぜられる。1932年(民国21年)10月、蒙古地方自治政務委員会察哈爾部保安長官に任ぜられた。翌年8月、察哈爾省政府委員に任命される。1934年(民国23年)3月、蒙古地方自治政務委員会委員となった。それからまもなく、チョトパジャップはデムチュクドンロブや李守信に協力して、蒙古自治運動を開始する。 1937年(民国26年)10月、チョトパジャップは蒙古聯盟自治政府に参加し、参議兼察哈爾盟盟長に就任する。翌月、蒙疆聯合委員会総務委員会委員となった。翌年7月、同委員会の総務部部長に昇格している。1939年(民国28年)9月、蒙古聯合自治政府が成立すると、政務院院長兼察哈爾盟盟長となった。翌年3月、南京国民政府(汪兆銘政権)の中央政治会議に、蒙古側代表として参加した。まもなく、中国国民党中央執監委員、中央政治委員会委員に選出されている。1941年(民国30年)、蒙古聯合自治政府参議会議長に異動した。 1945年(民国34年)以後の消息は不明である〔劉寿林ほか編『民国職官年表』では、1945年まで参議会議長の地位にあったとしている。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チョトパジャップ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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