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協和語(きょうわご)は、満州国の建国初期に用いられた簡易的な日本語である。興亜語(こうあご)、日満語(にちまんご)、大東亜語(だいとうあご)などとも呼ばれた。 == 概要 == 「協和」とは、満州国のスローガンである「五族協和」に由来する。主に日本語を母語としない漢民族や満州民族といった中国人が用いていた〔明木茂夫『オタク的翻訳論 巻一』18-20ページ、『オタク的翻訳論 巻二』1-3ページ〕。そのため、中国語の単語も混じっており、更に用言の語尾変化と助詞の一部を省略したものだった。これは、英語に対するピジンイングリッシュのような言語とも言える。あるいは、一種のクレオール言語とみなす事もできる。 満洲国成立前、日露戦争後、新都市地域においてロシア語に代わって日本語が勉強されるようになっていた〔満洲読本 南満洲鉄道株式会社 1927年 〕。ただし、日露戦争の時に日本兵によって「カイロカイロ(帰らう帰らう。帰る場合にも行く場合にも使われる)」や「メシメシ(飯飯。召し上がれの意で使われる)」などの畳語が日満混合語として残されたため、日本語が全て畳語であるかのような誤解が生まれており、また在留邦人の一部も「わたし買ふ買ふ、いくらいくら、売る売るあるか?」や「たかいたかい、まけるまける、よろしい」のように畳語を多用していた〔。 協和語は複数の民族から成る満州国で、早急な各民族間のコミュニケーション手段として日本人によって考案されたとされているが、その後「日本語は言霊の宿る言語であり、正しく用いるべき」との批判から否定されていった。第二次世界大戦での日本の敗戦とそれに伴う満州国の瓦解によって資料は散逸し、その後も系統立った研究はほとんど行われていないため、詳細は今も明らかでない。 日本において中国人訛りを表す役割語は協和語がルーツであると言われることがある。例えば、漫画などで中国人が片言の日本語を話す時や、外国語作品における中国語訛りの強い台詞を日本語に吹き替える時、ゼンジー北京の芸のように中国人の真似をする時などには、「アルヨ」など協和語に似た表現が用いられる。しかし、これに近い「ピジン日本語」は明治初期から存在していたことが文献から確認されており、横浜の外国人居留地で使われていた「横浜ダイアレクト」(横浜ピジン日本語)と呼ばれるものがその起源とされる。当初は「外国人一般が用いる言葉」として日本人に認識されていたが、その後「中国人の使う言葉」へと移行していった〔蜂矢真郷他「文献に現れた述語形式と国語史の不整合性について」 〕。 協和語がそれらをベースに誕生した可能性もあるが、推測の域を出ない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「協和語」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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