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南一番街(みなみいちばんがい)は群馬県太田市にある東武鉄道太田駅の南口に作られた商店街であったが、駅前や郊外へのショッピングセンターの進出や富士重工業のお膝元で進行したモータリゼーションの影響で商店街としては衰退し、近年は歓楽街として知られる地区である。 ==概要== 1969年(昭和44年)に市が東武鉄道太田駅の南側の田畑を開発して市街化する為に行われた区画整理事業に、太田宿をルーツとする市内随一の商店街だった「本町」の店主などが保留地を買収して参画して建設した商店街として1970年(昭和45年)に誕生した。 保留地を購入した約70人は組合を結成して共同で計画的な新たな街作りを目指し、統一した設計で南口の駅前通の両側約1kmに及ぶ商店街を、防災建築街区造成事業として公的資金に頼らず各地主の資金調達により0から建設を行っている。 この開発に際して建築事務所のRIA建築綜合研究所は設計の受託から始まったものの、多数の関係者の多様な意見を集約・調整することになり、後の市街地再開発におけるコンサルタント業務の様な形で作業を進めた結果、当時としては先進的な考えが多数盛り込まれた。 富士重工業の企業城下町であることを考慮したモータリゼーションへの対応として、商店街の中心に4車線の道路を通し、駅前ながら広大な駐車場も整備した他、建物も時代の変化に対応しやすいようにシンプルな構造で、ファサードの交換で外観すらも変更可能とされ、街路は当時先進的だったアーケードの設置や電柱の地中化を導入するなど将来を見据えた野心的な計画の下で建設された。〔実際の設計に携わった伊達 美徳が経緯に詳しい群馬県太田市南一番街の変貌 伊達 美徳 〕 また、駅前再開発にありがちな駅の目の前への大型店の設置はされず、開発に参画したすみや系列の百貨店ダイキン百貨店、スーパーマーケットとりせん、映画館、ボウリング場や商店が立ち並んだ商店街となっていた。 その他共同開発の商店街とは別に駅前広場に面して東武ストア太田店が開業するなど南口は一気に新たな商業の中心地になることになった。(同時期の競合店には本町商店街の藤五、十字屋や国道407号沿いの東光ストア(後の東急ストア)などがあった。) しかし、1977年(昭和52年)に太田駅南口広場に面した場所に駐車場も完備したユニーを核店舗としたベルタウンが出来ると、従来の強みであった駅への近さや駐車台数などでも適わなかった為に集客力は衰え、規模で大幅に劣るダイキン百貨店や東武ストアなど競争に敗れて閉店し、その他の商店の閉店や映画館、ボウリング場もなくなるなどシャッター商店街化が急速に進むことになった。 この商店街の衰退の引き金を引いたベルタウンや南部郊外の高林に出来た「ショッピングセンターラブ」も地元の商店も参画しており、そうした店舗が自ら主力をそうした施設に移転していったこともこの商店街の衰退に繋がったとされている。 こうして商店街が衰退した後にバブル崩壊し、経営が苦しくなると当地の店舗跡を賃貸に回すケースが増えたが、広めで家賃が高めだったこともあり、富士重工業や三洋電機の工場がある工業都市である為に独身男性が多めの地域性を背景に資金力に富んだ性風俗サービスの店舗が多数入り近年は北関東随一の歓楽街と呼ばれるようになった〔2008年(平成20年)9月6日 朝日新聞群馬県全県版参照〕。 近年は自動車での乗り入れから飲酒をするケースが多く、飲酒運転の多発地帯として知られ、テレビでも多く取り上げられている。〔2010年7月発行の新書に南口が取り上げられたが間違いが多いので注意が必要。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南一番街」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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