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南京事件論争(なんきんじけんろんそう)とは、日中戦争(支那事変)中の1937年(昭和12年)12月に遂行された南京攻略戦において発生したとされる南京事件における虐殺の存否や規模などを論点とした論争である。論争は日中関係を背景に政治的な影響を受け続けた。以下、主な論点について概説する。 == 犠牲者数について == ==== 犠牲者数の論議 ==== 南京事件の犠牲者(死亡)者の数については、30万人からゼロまで幅広い説がある。そもそも、現代史のしかも歴史ある国の首都で発生した、多くの軍人や市民のかかわった、それも欧米の外交官も含めた目撃者のある事件だが、このような幅が存在する。 このような幅広い学説が存在する理由は、いくつかある。まず、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷にて中国側(国民政府)が30 万人以上と記載したことが、きっかけになり30万人説が今日まで学術根拠なく一人歩きしている。そのうえで、被害者である中国の国民政府軍の兵士は当時の南京に何人動員されていたかが万単位で諸説あり、当時の南京の人口は何人か(一部、わかっている。「人口推移」参照)も推測のみで不明確である、など、基本的な情報が定まっていないことも原因である。一方で、南京安全区国際委員会など南京安全区(クリックで説明にリンク)在住の外国人の記録は不完全ながらも一定の信頼ができ、特にルイス・S・C・スミス博士の行った、広範囲な現地の人口調査(スマイス調査(クリックで説明にリンク))は、一般民間人の犠牲者の人数が推定できる貴重かつ重要な一次資料である。また、日本側の旧日本軍の親睦組織偕行社のまとめた『南京戦史』(1993)は、日本軍の戦闘終了後の中国兵処分についてを記録しており、その中の公式文書での約1万2千人の殺害やその他の文書での計1万前後の殺害も信頼性のある資料である(一覧表は南京事件の被害者(中国兵))。 日本の代表的研究者(秦郁彦、笠原十九司、板倉由明など)は、まず、中国軍人の兵員数の推測値を基に、普通の戦死者や逃げた人数を除いた、日本軍に捕まって殺害された中国兵の中で戦時国際法に照らして違法で殺された人数を日本側の公式・非公式記録も参考にして算定し、そして民間人の死者の中で日本軍に不法に殺された数を人口調査(スマイス調査(クリックで説明にリンク))を参考にしつつ算定している。 つまり、『 「中国兵の虐殺犠牲者」プラス「一般人の虐殺犠牲者」 』、この「両方の推計値の総計」が「南京事件の日本軍による全犠牲者の推計値」である。ただ、ここで、一般人の殺害の場合は、どの地域までとするかで、研究者によって算定が異なっている。特にスマイス調査は近隣の農村部を含むが、より広い農村部の被害者の可能性は日本側の記録にも残るが数値は明確でなく、また、被害者のうち長江に流された者も非常に多いがもし含めるなら推測しかない。 一方で、日本の文化人や研究者の中の虐殺否定派などは、そもそも日本軍は戦時国際法に違反した殺害をしておらず、安全区の外国人の記録も公正さに疑問あり、などととして、ゼロもしくはほとんどなしと推察している。虐殺否定派は、従来無批判に認められていた中国側資料の一部に南京事件と無関係なものがあることを見出すなどの成果をあげた。一方で、反中国姿勢が行き過ぎて、虐殺否定を説得するあまり、学術的には無理のある一次資料批判や事実の一方的否定が問題になったことも皆無ではない。 以下のとおり、第1次安倍内閣のときに発足が決まった日中歴史共同研究では、20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計と虐殺被害者の数を、日本の代表的研究者(秦、笠原、板倉など)の意見を中心にして述べている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南京事件論争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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