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南孝溫 : ミニ英和和英辞書
南孝溫[みなみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 

南孝溫 ( リダイレクト:南孝温 ) : ウィキペディア日本語版
南孝温[こう]
南孝溫(남효온、1454年 - 1492年)は 李氏朝鮮前期の文臣、生六臣の一人。本貫は宜霊南氏、字は伯恭、号は秋江、杏雨、最樂堂、碧沙。生六臣の一人。〔
한국역대인물종합정보시스템 〕 開国功臣南在の子孫で、兵曹判書南怡領議政南袞、文臣南褒の縁戚にあたる。
== 生涯 ==
世祖が幼い端宗を追い出した事が常に気にかけ、夢に端宗の母顕徳王后が現われ、息子を殺したことを責め、世祖が移転させた顯陵(顕徳王后の御陵)の復位を上訴した。しかし 任士洪鄭昌孫に阻まれ、志を果たせずと、世を捨て、流浪生活で人生を終えた。
死後1504年に、甲子士禍金宗直の門人r〔で廃妃尹氏の復位を主張したことから剖棺斬屍なった。著書 《六臣傳》は、粛宗時刊行された。中宗(1513年) 時、昭陵復位が実現すると名誉回復されて左承旨を追贈されたし、1782年また吏曹判書に追贈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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