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南富 健三(なんふう けんぞう、1970年1月22日 - )はアメリカ合衆国ハワイ州出身でかつて高砂部屋に所属していた元大相撲力士。本名はケカウオハ・ビジオ・カレオ(けかうおは・びじお・かれお)。身長178cm、体重126kg、最高位は西幕下筆頭(1996年3月場所)。得意手は押し、左四つ、寄り。 == 来歴 == 地元の高校を卒業してからしばらく経った頃、当時大関であった小錦の勧誘を受けた。小錦はその際に「相撲をやっても辛いことの方が多いよ」と厳しさを前面に出しながら勧誘したが、当のケカウホアは却ってこの勧誘に誠意を感じて入門。同期の同部屋、かつ同じハワイ出身者として砂浜や高竜がおり、彼らが心の支えになると期待した部分も入門に大きく関わっている。 1990年9月場所に初土俵を踏んだ時点では110kg前後の体格であり、同時期にすでに150Kgの体格を有していた砂浜が高砂から関取昇進を期待されていたのとは対照的に「幕下昇進にもずいぶん時間がかかりそうだ」と評されていた。だがしかし初土俵から丸2年後の1992年9月場所には幕下昇進を果たすなど出世は早かった。その間に高竜が電話で小錦に成りすましてニューヨーク・タイムズの記者の取材に応じたことで小錦本人が品格問題に巻き込まれる騒動が起こり、同じハワイ人として自身も周囲から白い目で見られたというが、却って「逃げずに相撲を続けるという目標が生まれた」という。 幕下昇進後は概ね定着を見たが、1995年3月場所は怪我により自身初の休場。しかし翌5月場所に7戦全勝で三段目優勝。翌7月場所に最高位を東幕下10枚目まで更新し、ここから翌1996年1月場所まで勝ち越しを続けて同年3月場所には関取目前となる西幕下筆頭まで上り詰めた。ところがその3月場所で1勝6敗の不振に終わり、場所後に今後関取昇進の見込みがないと判断。周囲からは「せっかく関取目前まで進んだのにもったいない」と慰留されたが、本人は予てよりの故障もあって「若く体が動くうちにアメリカに戻って働きたい」と振り切り、そのまま同年9月場所を最後に廃業。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南富健三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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