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南岳寺(なんがくじ)は、山形県鶴岡市内にある真言宗智山派の寺院。鉄龍海上人の即身仏(ミイラ仏)があることで有名。鶴岡駅から南岳寺前下車徒歩5分。 == 鉄龍海上人 == 鉄龍海(てつりゅうかい、1820年(文政3年) - 1881年(明治14年)10月28日)は、日本の僧、即身仏。 略歴 * 1820年(文政3年) - 出羽国仙北郡堀見内村(現・大仙市)進藤某の子として生まれる。 * 1836年(天保7年) - この頃、喧嘩で友人を殺してしまう。 * 各地を放浪し鶴岡に辿り着き、自殺しようとしている所を、出羽国東田川郡鶴岡(現・鶴岡市)の南岳寺住職・天竜海に救われる。 * 天竜海の門弟となる。 * 陸奥国岩手郡(現・盛岡市)の連正寺に預けられる。 * 1848年(嘉永元年) - 連正寺が火災にあったため、再建のために尽力する。 * 同寺院の再建の目処が立たないため南岳寺に戻る。 * 1859年(安政6年) - この頃より木食行を始めたと言われる。 * 信者らの協力で寺院再建の資金が集まり連正寺を再建する。 * 天竜海の後を継いで南岳寺の住職となる。 * 天竜海の師の鉄門海が開いた加茂坂峠を、地雷花(ダイナマイト)を使って改修工事を行う。 * 1871年(明治4年) - 同改修工事が完成する。 * 1881年(明治14年)10月28日 - 病没。ただし、1878年(明治11年)説もある。 * ミイラは鉄龍海上人の埋葬後、土中入定により脳・内臓を摘出して石灰をつめて作られた。1868年(明治元年)に出された墳墓発掘禁止令により墓地の発掘が禁じられたため、鉄龍海上人の没年は1868年と偽られ、さらに時効となる大正年間までミイラの存在は秘密とされていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南岳寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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