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南急行(みなみきゅうこう、Sud-Express、シュド・エクスプレス)は、パリとイベリア半島を結ぶ国際列車の名称である。 ==概要== 南急行は1887年10月に国際寝台車会社(CIWL)によって夜行列車として運行が開始された。総行程は2泊であった。当初、パリ(オステルリッツ駅)からマドリードへは毎日運行、リスボンへは隔日運行であった。方向に応じて、アンダイエかイルンでリスボン、ポルトまたはマドリード方面の列車と接続していた。 第二次世界大戦前には、現在のカスカイス線のSao Joao do Estorilまで直通していたようである(今日、エストリル (Estoril) はゴルフ、カジノ、F1グランプリで知られている。)。 この列車は、マドリード、リスボンへ向かうために重要であった。当時、ポルトガルへ向かうスペインの道路は、その大部分が舗装されておらず、列車か船のほかに選択肢は無かった。 第二次世界大戦後には、プルマン客車〔 Pullman Company〕に加えて、DEV inoxの最初の車両が用いられた。当初は一等にのみだったが、遅れて二等車にも用いられるようになった。 1969年からは、パリ-マドリード間に、ワゴンリ客車とクシェット(1970年より)を連結し、速く、新しく、直行の新列車「プエルタ・デル・ソル」が運行を開始し、南急行のマドリード区間は廃止された。フランスにおいて最後となった、南急行におけるプルマンのサービスは、車齢が限界まで達したこと(半世紀近く運用された)と、欧州横断特急との競争により、1971年5月に終了した。 かつて、スペインの高地を走る区間は単線であった。このことは時々、反対方向から来る列車を待つための、星々の下での長時間停車をもたらした。 スペインとポルトガルとの間の国境駅はアルメイダ郡 (Almeida) のヴィラル・フォルモーゾ (Vilar Formoso) である。 リスボン方面とポルト方面への分岐点はPampilhosaに位置している。 スペイン内戦直後、蒸気機関車も石炭不足により、藁を燃料とした。結果として、田舎においてしばしば停車した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南急行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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