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南条 元忠(なんじょう もとただ)は、安土桃山時代の武将。伯耆羽衣石城主。忠成ともいう。南条元続の子。 天正19年(1591年)、父の死去に伴い家督を継ぐが少年であったため、朝鮮出兵には叔父で後見人の小鴨元清が参加した。(『羽衣石南条記』等によれば当時13歳であったという)治世についてはあまり多く伝えられていないが、家中では後見人の座を巡る争いが起こるなどの混乱が生じていた。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍につき、伏見城・大津城を攻めたが、西軍が敗れ、浪人となる。 慶長19年(1614年)、大坂冬の陣では、旧臣とともに大坂入城、平野橋口で3000人の兵を与えられる。東軍の藤堂高虎の誘いを受け、伯耆一国を条件に東軍に寝返ろうとするも、渡辺糺に見破られ、城内千畳敷で切腹させられる。「裏切りの伯耆侍古畳み南条もって役にたたばや」と落首された。享年37。遺骸は小姓の佐々木吉高によって持ち帰られた。なお、従兄の宜政(よしまさ)の子孫は、600石を知行する旗本として存続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南条元忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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