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南 梅吉(みなみ うめきち、1877年5月10日 - 1947年10月24日)は、日本の社会運動家である。 滋賀県蒲生郡桐原村(現近江八幡市)の農家に生まれた〔朝治2010、p.55〕〔「同和地区指定を拒否した全国水平社初代委員長の故郷」 鳥取ループ(取材・文)、『月刊同和と在日』2011年7月号〕。1894年、京都市上京区鷹野北町に移り化粧品製造に従事。1902年から部落改善運動(融和運動)に携わり、青年団を結成〔。青年団長や村議会議員を務めた。 1922年、全国水平社(全水)の初代委員長となり、京都の自宅に総本部が置かれた〔ツラッティ千本について 、京都市〕。警視庁スパイとの親交を理由に、1924年12月勇退勧告処分を受け、委員長を辞任した〔朝治2010、p.49〕〔「南梅吉【みなみうめきち】」 デジタル版日本人名大辞典+Plus〕。1926年の第5回大会で決議された新方針に反対し、全水を脱退。1927年1月5日、京都で日本水平社を結成した。 部落改善のため政治が重要と考え、1929年日本自由党、1930年立憲解放党、同年日本統一党を結成したが、すべて失敗に終わった〔朝治2010、p.50〕。日本の中国大陸進出が本格化する中、1934年国際水平運動を提唱した〔朝治2010、p.51〕。 部落解放全国委員会結成3か月前の1945年12月、京都で人種解放同盟を創立した〔。 == 参考文献 == * 朝治武『2009年度部落史連続講座 講演録』、京都部落問題研究資料センター、2010年3月31日 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南梅吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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