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南浦文之 : ミニ英和和英辞書
南浦文之[なんぽぶんし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
: [うら]
 【名詞】 1. inlet 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

南浦文之 : ウィキペディア日本語版
南浦文之[なんぽぶんし]
南浦文之(なんぽぶんし、弘治元年(1555年) - 元和6年9月30日1620年10月25日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧。
俗姓は湯浅氏。別名文之玄昌(ぶんしげんしょう)。別号雲興軒・時習斎
== 経歴 ==
弘治元年(1555年)日向国飫肥の南郷外浦に生まれる。号の南浦はこの出生地に由来する。幼い頃から非凡ぶりを発揮し、文殊童と呼ばれていた。12歳のとき禅門に入り、諱は玄昌で、桂庵玄樹の孫弟子にあたる龍源寺の一翁玄心儒学を、江夏友賢五経周易宋学を学んだ。章句訓詁に秀で、15歳で京に上り東福寺龍吟庵の煕春竜喜の法嗣となり、雲興・懶雲・狂雲などとも号した。
慶長7年(1602年)、島津家久が創建した大竜寺の開山となり、翌8年(1603年島津氏の嘱により使として徳川家康に謁し、家康の薦めで建長寺に上堂秉払(じょうどうひんぼつ)の式を行い、後水尾天皇に召され宮中にて四書の新註の講を行うなど、その学識の深さで知られる。島津義久・家久らの深い帰依もあり、薩摩藩の明や琉球との外交文書を司っていた。
著書に『鉄炮記』『南浦文集』『日州平治記』『決勝記』などがある。
元和6年(1620)66歳で死去。墓所は鹿児島県姶良市の太平山安国寺(墓は国の史跡に指定)。
薩摩藩の剣術家であった東郷重位の剣術へ「示現流」との流派名を与えている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南浦文之」の詳細全文を読む




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