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第55師団(だいごじゅうごしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。四国四県を徴兵区とする常設師団として、1940年(昭和15年)7月10日に留守第11師団を基幹に善通寺で編成された〔1940年(昭和15年)8月から常設師団のうちの8個師団が満州に永久駐屯することになり、代替の常設師団として同年7月10日に第51師団・ 第52師団・第54師団・第55師団・第56師団・第57師団の計6個師団がそれぞれ留守師団を基幹に編成された。なお翌年の1941年(昭和16年)9月16日に第53師団が留守第16師団を基幹に編成されたが、第1師団分については除かれた(第1師団の管区は近衛師団が引き継いだ)。〕〔第55師団の管轄区域は1941年(昭和16年)から善通寺師管区に改称、1945年(昭和20年)4月1日には補充任務等の管轄区域の軍政を担当する留守師団司令部は独立し善通寺師管区司令部となり、6月12日に四国軍管区司令部と改称した。〕。 == 沿革 == 師団は編成後当初は善通寺に在り、中部軍に属していたが、師団主力は太平洋戦争開戦に伴い動員され、第15軍に属しビルマの戦いに従軍した。第一次アキャブ作戦では多大な戦果を挙げた。 1944年(昭和19年)1月、新設された第28軍に属し第二次アキャブ作戦に参戦したが敗退。イラワジ河に後退し、第38軍隷下となり仏印に移動。プノンペン付近で集結する中で終戦を迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第55師団 (日本軍)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 55th Division (Imperial Japanese Army) 」があります。 スポンサード リンク
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