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南渕時高 : ミニ英和和英辞書
南渕時高[みなみぶち ときたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 

南渕時高 : ウィキペディア日本語版
南渕時高[みなみぶち ときたか]

南渕 時高(みなみぶち ときたか、1965年10月29日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手内野手)。
現役時代は粘り強い打撃で相手投手に嫌がられる打者としてチームを支えた。
== 来歴・人物 ==
天理高校3年生時のに、遊撃手として夏の甲子園に出場。1回戦で岐阜第一高に完封負け〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。卒業後は青山学院大学に進学。東都大学リーグでは秋季リーグから一部昇格を果たすが、優勝には届かなかった。一部リーグ通算88試合出場、312打数102安打打率.327)、6本塁打、39打点。通算102安打は歴代9位(2007年現在)。ベストナイン(遊撃手)2回受賞。大学同期に内山正博投手がいる。
卒業後は東芝に進み、の都市対抗に出場。準々決勝で新日鐵堺野茂英雄をKOし快勝、準決勝では適時打を放ち大昭和製紙北海道を降す。決勝ではNTT東海に9回裏サヨナラ勝ち、5年ぶりの優勝を飾った〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。続く同年の日本選手権でも順調に勝ち進み、決勝では本田技研熊本と対戦、大学同期の内山投手を打ち崩し優勝。都市対抗、日本選手権の同一年制覇は史上初である。この大会では準決勝で本塁打を放つなど攻守の要として活躍し、最高殊勲選手賞を獲得した。同年の社会人ベストナイン(遊撃手)にも選出される。にも都市対抗に連続出場。同年は第9回インターコンチネンタルカップ、第15回アジア野球選手権大会日本代表に選出された。東芝のチームメートには丹波健二菊池総らがいる。
ドラフト4位でロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団。には佐藤健一と遊撃手のレギュラーを争い、翌年には定位置を確保する。に当時の日本記録である14打席連続出塁を達成。この年チーム唯一のスポーツ紙1面を飾った。から二塁手に回り、には初の規定打席(18位、打率.264)に達する。同年4月には無本塁打ながら打率0.349、2打点を記録し月間MVPを受賞した。しかし翌年には小坂誠の入団によって内野陣が再編成され出場機会が激減、シーズン後半にはほとんど出番がなくなる。
中日ドラゴンズに移籍、控え内野手として起用される。には当時監督に在任していた仰木彬にパンチ力を買われてオリックス・ブルーウェーブに入団するも〔2000年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑〕同年を最後に現役引退。
引退後は一時期、ヤングリーグ所属の中学硬式野球チーム「ヤングパドレス」監督として指導をしていた。現在は、サンリーグ所属の中学硬式野球チーム「奈良サンマリーンズ」の総監督をしている。プロ野球マスターズリーグでは名古屋80D'sersに所属していたが、2006年より大阪ロマンズに所属。
同い年である古田敦也池山隆寛とは以前から親交があり、彼らからは「ブチ」と呼ばれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南渕時高」の詳細全文を読む




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