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南長野(みなみながの) * 長野県長野市北部の大字。明治期の旧長野町の南部にあたる。''本項で記述'' * 長野県長野市南部(篠ノ井・川中島など)一帯を指す称。昭和の大合併後の長野市の南部にあたる。南長野運動公園等はこの用法。 * 長野県長野市中御所一丁目にあった善光寺白馬電鉄の駅。1944年(昭和19年)休止、1969年(昭和44年)廃止。→南長野駅 ----- 南長野(みなみながの)は長野県長野市の市街地西部にある地域(大字)。 後述の9町が属しているが、長野市街地内の町(通称名)については住所表示の際に「大字南長野」を省くことが多く、郵便番号もそれぞれ単独で与えられている〔長野市街地においては、大字(長野・南長野・西長野・鶴賀)を省いた住所表示が半ば慣例化しており、郵便番号も個々の町名に対して与えられている。〕。また、町名(通称名)のほか「幅下」「十念寺裏」といった小字があるが、これらは原則用いない(省略する)ことが長野市の慣例となっている。つまり、後町小学校近くの住所を例にとると以下の3通りの表し方がある。 * 長野市大字南長野西後町 * - *: - 慣例による(大字を省略しない)表記 * 長野市西後町 * - *: - 慣例による(大字を省略した)表記。最も一般的 * 長野市大字南長野字十念寺裏 *番地 *: - 登記などに用いる表記 しかしながら、例えば長野県は長野県庁の住所を「大字南長野字幅下」と表記しており(慣例に従うならば「大字南長野妻科」または「妻科」)、混乱に拍車をかけている〔分かりづらい! 長野市の複雑な住所表記 (MSN産経ニュース、2009年1月30日)〕。 北石堂町・南石堂町・末広町は長野市役所(本庁直轄)第五地区、そのほかは第四地区の管内である。 == 概要 == 南長野は、長野市街地を構成する3大字の一つである。 西端を裾花川が流れ、南端に信越本線・北陸新幹線が通り、長野駅が置かれている。地域のほぼ中央を昭和通り(国道19号)が東西に横切り、西端を県庁通り(国道19号・県道)、東端を中央通り(県道・市道)が南北に走る。地域内には裾花川から分かれた鐘鋳川(鐘鋳堰=かないぜき)・北八幡川・南八幡川・古川・計渇川(けかちがわ)・宮川といった用水が曲がりくねりながら流れ、市街地と善光寺平に潤いをもたらしている。周囲は以下の大字・町丁と接する。 古くは、北国街道(善光寺表参道)に沿った石堂町や後町などは善光寺町の一部として町場化していたものの、それより西の現在の県町や妻科などはまだ農村であった。しかし明治に入り、1874年(明治7年)に(旧)長野県庁が西長野に置かれると、隣接する当地域も次第に市街地化し、旭町・県町といった町が新たに発足した。さらに1888年(明治21年)には、当地域の南端に長野駅が開業し、末広町が新たに発足。長野市の市街地・繁華街は善光寺周辺から徐々に南進していった。 現在の南長野は、1913年(大正2年)に妻科へ移転した長野県庁を中心に県庁通り沿道が官庁街となっている一方、長野駅を中心に中央通り沿道に繁華街が広がる。しかし繁華街は次第に東に接する鶴賀(南千歳町など)へ移りつつある。 前述の通り地域内には6つの用水が曲がりくねりながら流れているが、その多くは暗渠となり、その上が小路になっている。そのため、碁盤目状の区画の善光寺周辺に対して、当地域(特に南部)では曲がりくねった小路が入り組み、町の区画が複雑になっている。こうした入り組んだ小路・路地、また町の中を流れる小川を観光資源とする構想があり、2008年(平成20年)には第6回全国路地サミットが長野市内で開かれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南長野」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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