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荻窪(おぎくぼ)は、東京都杉並区の中央部にある地名。現行行政地名では、荻窪(おぎくぼ)一丁目から五丁目まで、南荻窪(みなみおぎくぼ)一丁目から四丁目まで、上荻(かみおぎ)一丁目から四丁目までが存在する(いずれも住居表示実施済み区域)。歴史的には西荻北及び西荻南も範囲に含む。 == 地理 == 住居表示実施後の公称町名としての荻窪は、北側でJR東日本中央線快速を境に上荻と、東側で成田東と、南側で五日市街道付近まで延びて成田西及び高井戸東と、西側で環八通りを境に南荻窪とそれぞれ接する区域であり、ほぼ中央を善福寺川が流れる。 汎称地名としては、JR東日本中央線快速・東京メトロ丸ノ内線の荻窪駅周辺の地域で、公称町名としての荻窪に加えて、荻窪に由来する名を持つ南荻窪、上荻や、さらには中央線〜早稲田通り間の天沼、本天沼、清水、荻窪警察署等がある桃井、今川の全部または一部を含む地域を指すことが多い。なお、西荻窪(西荻北及び西荻南)は歴史的に荻窪村の一部であり、荻窪の名を含むが、今日では荻窪に含められることはほとんどない。 荻窪という地名の由来は、この地を訪れた旅人が辺に自生していた荻を刈り取って草堂を造り、観音像を安置し荻堂(おぎどう)と名付けたことと、周辺の地形が窪地であったことによると伝えられる。荻堂のあった場所は、現在では慈雲山荻寺光明院という寺になっている。 荻窪は、大正から昭和初期にかけて東京近郊の別荘地として住宅が増加した。1927年(昭和2年)に与謝野晶子・与謝野鉄幹が南荻窪に居を構え、さらに1937年(昭和12年)に公爵で内閣総理大臣(第34・38・39代)の近衛文麿が別邸「荻外荘(てきがいそう)」を構えたところから閑静な住宅地として評価が高まり、井伏鱒二、太宰治、棟方志功、阿部知二、戸川秋骨、石井桃子、恩地孝四郎、尾崎喜八、長谷川四郎、大田黒元雄、佐藤慶次郎、遠藤実、柴田翔、三宅榛名などの作家・芸術家、音楽家、評論家など多くの文化人が移住するようになった。井伏鱒二著の『荻窪風土記』には、戦前から作家、画家等の知識階層が多く住み、荻窪の文化を形成していったことが書かれている。 その歴史と文化は今でも邸宅が並ぶ住宅街に生きづいている。ちなみに大田黒元雄の屋敷跡地は大田黒公園、角川書店創始者、角川源義の邸宅は角川庭園、与謝野晶子・鉄幹の住居跡地は与謝野公園となり杉並区の施設として一般公開されている。 1980年代半ばの初期のラーメンブームにおいて大きく取り上げられた「荻窪ラーメン」で有名であり、現在でもラーメンの老舗が多くある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荻窪 (杉並区)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ogikubo, Tokyo 」があります。 スポンサード リンク
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