|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 南 : [みなみ] 1. (n,vs) South 2. proceeding south
南 道郎(みなみ みちろう、1926年9月25日 - 2007年11月13日)は日本の俳優、漫才師。南 道朗名義での出演作もある。 本名は根岸 貞一(ねぎし ていいち)。東京都品川区豊町出身。血液型はA型。3度の結婚歴を持つ1男3女の父(初婚の時の子が2人、2回目の結婚の時に1人、3回目の結婚の時に1人)。初婚の時の子(長女)が歌手の美詩える、3回目の結婚の時の子(三女)が劇団東俳に所属していたタレント・根岸未来。 ==来歴・人物== 建築業を営む家に長男として生まれる。日本大学付属工業学校から明治大学専門部興亜科を経て1944年に学徒出陣で陸軍航空士官学校に入学。復員後の1947年には第一新聞社に入社、この年、NHKラジオの『のど自慢素人演芸会』に出演したのがきっかけで、1949年に新聞社を退社したのち、1950年、国学院大学の学生だった国友昭二と漫才コンビを結成し、同時期にスタートしたコロムビア・トップ・ライトとともに戦後の東京漫才を代表する存在になるほど人気を得る(一時期はE・H・エリックともコンビを組んでいた)。当時は「学生漫才」と称されマスコミには派手な衣装で「ステッキ(素敵)なコンビ」と売り出される。 1952年、東宝と専属契約を結んで漫才をする一方、1955年からは映画にも出演、同年に国友とのコンビを解消して俳優に転身した。 その特長あるダミ声を活かし、漫才出身でありながら主に悪役として活躍。特に戦争映画での悪辣な下士官は当たり役で、数々の作品で憎々しい個性を発揮している。テレビドラマでも時代劇の姑息な小役人など、小悪党的な敵役を様々に演じた。 1966年、自衛隊友の会結成の発起人のひとりとなった。 1969年の第32回総選挙、1972年の第33回総選挙に、民社党(1969年当時は民主社会党)公認で北海道第1区から立候補したが、いずれも落選した。 2007年11月13日、腹部大動脈瘤破裂のため千葉県市川市内の病院で死去。。本人の意思により献体のため、しらぎく会へ遺体を送還された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南道郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|