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南部信依 : ミニ英和和英辞書
南部信依[なんぶ のぶより]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南部 : [なんぶ]
 【名詞】 1. southern part 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [え]
 (n) depending on

南部信依 : ウィキペディア日本語版
南部信依[なんぶ のぶより]
南部 信依(なんぶ のぶより、延享4年2月10日1747年3月20日) - 天明元年6月7日1781年7月27日))は、江戸時代後期の大名陸奥国八戸藩の第6代藩主。
== 概要 ==
父は第5代藩主・南部信興(信依は嫡男)。母は織田長亮の娘。正室は伊達村信の娘。兄弟に南部信充南部興長南部興春。子に南部信房(長男)、南部依晴(次男)、南部信真(三男)、娘(織田長孺室)。官位は従五位下、甲斐守。
明和2年(1765年)、父の隠居により跡継いで藩主となる。明和4年(1767年)から正木太郎太夫に兵学を学んだ影響から、明和7年(1770年)に武芸練習所を設置して武芸を大いに奨励した。藩政においては安永4年(1775年)に凶作・大飢饉に見舞われるなど、多難を極めた。
天明(1781年2月9日、かねてからの病気により、家督を長男の信房に譲って隠居する。同年6月7日に35歳の若さで死去した。墓所は東京都港区芝の金地院。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南部信依」の詳細全文を読む




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