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南部 信光(なんぶ のぶみつ)は、日本の南北朝時代の武将。 南朝方の武将として活躍〔近世こもんじょ館「南部を名乗る諸家 10 家臣諸家 1八戸家 1南北朝期 南朝の忠臣の系譜」 には、「1335年(建武2年)12月12日顕家奉勅上洛す、国中以未静謐師行 従す、其孫三郎信光をして上洛に従ハシム」とある。〕し、正平10年(1355年)に北畠顕信の推挙により大炊助に任命され、翌正平11年(1356年)11月19日に薩摩守に叙任されている。 父信政が祖父政長に先立ち死去したため、政長から所領を譲られ家督を継承する。祖父政長同様に八戸根城を拠点として南朝方の中核として奮戦、正平15年(1360年)には陸奥国田舎郡黒石郷、鼻和郡目谷郷を安堵されている〔小井田幸哉『八戸根城と南部家文書』では北畠顕信が南部薩摩守宛てに与えた御教書について、同地は信光宛てに分封したとしている。しかし顕信が南部薩摩守宛てに与えた御教書について『南部史談会誌』や、『南部史要』第12世政行公事績(注)南部四世事跡考に於いては、正平15年に同地を南部信行をして安堵したとある。〕。 その後本領の甲斐国波木井郷に帰ったが、正平20年(1367年)に北朝方の神大和守に波木井城を攻められる。しかし逆襲して神城を陥落させた。戦功により後村上天皇から甲冑と太刀一腰、感状を賜り、所領を加増された。 嫡男長経が幼少であったので、家督は弟の政光が継承した。没年は天授2年(1376年)1月23日〔『国史大辞典』〕とされるが、南北朝合一後は八戸に住み、更に子政慶のいる七戸に隠遁したとも言われる〔奥富敬之「南部信光」安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年〕。ただし子孫の八戸氏の家伝では政慶は信光の子ではなく弟政光の子としている〔星川正甫原編、 前沢隆重他編『南部藩参考諸家系図』国書刊行会〕。 『余目旧記』は信光が留守氏の遺児家任を後援し、留守氏の復興に尽力したことを伝えている。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南部信光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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