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南部 僑一郎(なんぶ きょういちろう、1904年(明治37年)4月6日 - 1975年(昭和50年)2月16日〔南部僑一郎 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2010年1月29日閲覧。〕)は、日本の映画評論家、脚本家である。本名は杉田 實(すぎた みのる)〔。 == 来歴 == 1904年(明治37年)4月6日、福岡県に生まれる〔。 旧制・第五高等学校(現在の熊本大学)を卒業し、1923年(大正12年)、東京に移り、東京帝國大學(現在の東京大学)印度哲学科に進学する〔〔『南部僑一郎氏との対話』、p.28.〕。同学に在学中の同年、福岡・筑豊炭田での炭鉱争議を支援、治安維持法に問われて逮捕される〔。逮捕時にリンチに遭い、左眼を失明する〔『南部僑一郎氏との対話』、p.29-30.〕。市ヶ谷刑務所に8か月入所し、大学は中途退学となった〔〔。 1927年(昭和2年)、内藤宸策の門をたたき、日本演芸通信の京都支局長に就任して短歌と詩の雑誌編集に携わる。それから間もなく阪東妻三郎プロダクションに入り、宣伝部に配属される〔『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)〕。 1932年(昭和7年)、サイレント映画の剣戟映画を製作する独立プロダクション富国映画社の設立第1作『安政大獄』に原作を提供〔安政大獄 、日本映画データベース、2010年1月29日閲覧。〕、翌1933年(昭和8年)には、トーキーを製作する独立プロダクション木下トーキープロダクションに『ホロリ涙の一ト雫』の原作を提供した〔ホロリ涙の一ト雫 日本映画データベース、2010年1月29日閲覧。〕。 1975年(昭和50年)2月16日に死去した〔。満70歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南部僑一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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