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南部 政直(なんぶ まさなお、慶長4年(1599年) - 寛永元年10月23日(1624年12月3日))は、陸奥盛岡藩初代藩主・南部利直の次男(庶子)。母は家老石井伊賀守直弥(なおみち、甲州譜代重臣、2,500石)の妹の岩(閑、楽女、香林院)。彦九郎。元和6年(1620年)頃元服し、政直と名乗る。 ==経歴== 福岡城(もとの九戸城)に生まれる。慶長18年(1613年)10月花巻城代(2万石)となり、花巻城を改築した。 寛永元年、江戸へ向かう藩主一行が花巻城に宿泊をして酒宴を催した。この時に、岩崎城代・柏山伊勢守明助と政直が相次いで急死した。死因は、白磁徳利の酒に毒が入っていた為である。 かねてより、南部氏一族は柏山明助が伊達政宗と内通しているのではないかと疑いを持っており、花巻城にて毒殺をすることを画策した。藩主・南部利直は、花巻城に柏山を突然呼び出し、伺候した柏山に利直は、御前での盃頂戴の儀式を伝えた。訝しく思いながらも謹んで賜る旨を言上したので、利直はまずは政直に盃を飲むようにいい、政直はわかっていたがこれを口にし、その盃を柏山に回した。 法名は、海潮院殿天巌宗青大居士。墓所は花巻市宗青寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南部政直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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