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南風 洋子(みなかぜ ようこ、本名:若杉 洋子(わかすぎ ひろこ)、1930年1月22日 - 2007年8月19日)は、日本の女優。劇団民藝所属。兵庫県神戸市出身。夫は映画監督・演出家の若杉光夫。娘は女優の若杉民。 == 来歴・人物 == 戦後、満州から引揚者となって神戸に引揚げてきた後に、学生演劇に熱中していたおり、関西学院劇研の顧問をしていた宝塚歌劇団の演出家・堀正旗に勧められて、兵庫縣立第一神戸高等女學校(当時。現在の兵庫県立神戸高等学校)卒業後の1948年に宝塚音楽学校に入学して、翌年に宝塚歌劇団に入団〔南風洋子 『涙を真珠にかえて…』新日本出版社、2007年、24-26頁〕。宝塚歌劇団36期生。宝塚入団時の成績は首席〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、45-46頁。ISBN 9784484146010〕。同期生の有馬稲子とコンビを組んで男役スターとして人気を博したが、1953年3月25日〔に退団。在団中の愛称ノロ(ちゃん)。 退団後は新東宝と契約。1959年宇野重吉のすすめで劇団民藝に入団。以後も舞台、映画、テレビ等で活躍した。1985年紀伊國屋演劇賞、1995年菊田一夫演劇賞受賞。 2007年8月19日、膵臓癌のため横浜市鶴見区の病院で死去。享年77。戒名は南風院光室智洋大姉。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南風洋子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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