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博文館(はくぶんかん)とは、東京都の出版社。明治時代には富国強兵の時代風潮に乗り、数々の国粋主義的な雑誌を創刊すると共に、取次会社・印刷所・広告会社・洋紙会社などの関連企業を次々と創業し、日本最大の出版社として隆盛を誇った。 == 沿革 == 1887年、大橋佐平により東京市本郷区弓町(現在の東京都文京区本郷)に創業された。社名は伊藤博文に由来。1887年、雑誌『日本大家論集』を創刊。大橋佐平の息子・大橋新太郎は、尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の登場人物、富山唯継のモデルと言われている。妻は元芸妓の大橋須磨子〔長谷川時雨、青空文庫〕。 1891年、取次部門として東京堂(東京堂書店およびトーハンの前身)を発足させる。1892年、東京市日本橋区本町三丁目(東京都中央区日本橋本町)に移転。1893年、広告会社として内外通信社を設立。 1895年に初の総合雑誌『太陽』誌を創刊、黄金時代を築く。1896年、博文館印刷所を設置(共同印刷の前身)。1902年6月15日、博文館創業15周年記念として、有料の私設図書館である財団法人大橋図書館を開く(三康図書館の前身)。 日清戦争および日露戦争時には、戦況を写真入りで詳報する雑誌『日清戦争実記』および『日露戦争実記』を出版、版を重ねた。ページ冒頭には鮮明な戦地の写真を掲載、特派員から寄せられる情報や戦況の詳細な情報に加え、時事論談や学者による戦争観なども掲載し、一般国民に対して戦争を身近に感じさせる役割を担った。 1923年、関東大震災で社屋を焼失したため、東京市小石川区戸崎町(東京都文京区小石川)に移転。この時期には雑誌「新青年」が、大正昭和モダニズムをリードする役割を果たすとともに、国産探偵小説の創成期を担って江戸川乱歩、横溝正史ら数多くの作家を輩出している。横溝は入社して、同誌ほかの編集長もつとめた。 時代に合わない買い切り制度に固執したため、後発の大出版社に圧迫されて経営不振に陥る。1927年に『太陽』が廃刊となってからも赤字が続き、第二次世界大戦後は社長大橋進一の公職追放に伴い、日記以外の出版を停止。辞書部門や雑誌部門は、1948年、博友社と文友館と好文館の三社として分裂。1949年、博友社の名のもとに再び統合。1950年、博文館新社として再生。博文館新社は、主として日記帖の出版社として存続している。日記は博文館時代からのヒット商品であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「博文館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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