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ポインタライ〔加々美光行『知られざる祈り』205頁は「ポインタライ」、森久男『徳王の研究』302頁は「ブインダライ」と表記している。〕(モンゴル語: Баян далай)は中華民国の政治家。モンゴル族。蒙古自治運動の指導者の1人。中国語表記としては補英達賴のほか、博英達賚もある〔徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』2096頁。〕。 == 事跡 == === 蒙古自治運動への参加 === 察哈爾省都統署調査委員、シリンゴル盟(錫林郭勒盟)ソニド右旗(蘇尼特右旗)札察克公署顧問、察哈爾省都統署諮議を歴任する。1922年(民国11年)、臨時参政院参政となった。翌年、陸海軍副司令行営少将参事、北京綏靖公署主任少将参議となる。1928年(民国17年)からは国民政府でシリンゴル盟駐張家口弁事処長となった。 1933年(民国22年)、デムチュクドンロブ(徳王)らの蒙古自治運動が起こると、ポインタライもこれに参加した。蒙古地方自治政務委員会が成立すると、高等顧問・保安処処長に任ぜられている。1936年(民国25年)、蒙古軍総司令部秘書長となった。翌年、蒙古軍政府弁公庁主任となる。 そして同年10月に蒙古聯盟自治政府が成立するとともに、ポインタライはバエンタラ(巴彦搭拉)盟盟長に任命された。1939年9月、晋北・察南の両自治政府の合流とともに政府が改組され、蒙古聯合自治政府(蒙疆聯合自治政府。1941年、蒙古自治邦に改称)が成立すると、ポインタライは最高法院院長となっている。1944年(民国33年)からは司法長官も兼任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポインタライ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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