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卞氏(べんし、延熹3年12月(160年1月)〔武宣卞皇后伝が引く『魏書』より。〕 - 太和4年(230年))は、曹操の妻。徐州琅邪郡開陽県(山東省臨沂市)の人。子は曹丕・曹彰・曹植・曹熊ら。魏が建てられると皇后を追贈された。諡は宣で、諡号としては武宣皇后。 ==経歴== 元は歌妓であったが、20歳のときに当時譙にいた曹操に迎え入れられ側室となった。丁夫人が廃されると正室になり、曹丕・曹彰・曹植・曹熊を産み、息子たちの異母兄弟も養育した。華美を好まない倹約家で慎み深く、節度を重んじた。 名門の出である丁夫人からは軽蔑されていたが良く仕えた。丁夫人が曹操と離縁した後も、時候の挨拶を欠かさないなど配慮を続けたため、やがて丁夫人からも感謝されるようになった。建安24年(219年)、王后に立てられ、曹操没後は王太后と号した。曹丕の即位に伴い皇太后となり、永寿宮と称した。曹叡が即位すると太皇太后になった。太和4年(230年)に亡くなり、高陵(曹操の墓)へ葬られた。 『魏志』武宣卞皇后伝注に引く王沈『魏書』では、曹操が手に入れた複数の耳飾を卞氏に選ばせると、彼女は中級の品を取った。曹操が理由を尋ねると「上等な物を選ぶと欲深な者と思われ、下等な品を選べば偽りの倹約と思われるため、中程のものを選びました」と言った。 『世説新語』の賢媛篇にも逸話が載せられている。卞氏は病を重くした曹丕を見舞いに赴いた。すると、曹丕は曹操の側室たちを全て自分が引き取っていた。その場に居る者の話を聞くと既に曹丕が亡くなっていたため、嘆息して「あなたが食べ残したものは、狗や鼠も食べようとはしないでしょう」と言い、墓へ行っても哭礼の弔いをしなかったと記されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武宣皇后卞氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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