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厚木海軍飛行場(あつぎかいぐんひこうじょう)は、神奈川県綾瀬市と大和市にまたがる軍用飛行場で、アメリカ海軍と海上自衛隊が共同で使用している軍事基地。県内で唯一、固定翼ジェット機が離着陸できる航空施設である。航空管制は海上自衛隊が行なっている。 通称は厚木基地(あつぎきち)〔産経新聞2014年5月24日、2014年5月24日観覧〕、厚木飛行場(あつぎひこうじょう)。海上自衛隊では厚木航空基地(あつぎこうくうきち)と呼ばれるが、日本の公的資料では「厚木海軍飛行場」と呼称されている。米海軍は空母ロナルド・レーガン(USS Ronald Reagan, CVN-76)艦載機の第5空母航空団(CVW-5)の本拠地として使用しており、海上自衛隊は第4航空群、実験航空部隊の第51航空隊、 輸送航空部隊の第61航空隊、の航空基地として使用している。 米軍内における名称はNaval Air Facility Atsugi(直訳すると海軍厚木航空施設)である。 ジョン・F・ケネディを暗殺したとされるリー・ハーヴェイ・オズワルドは1957年から1958年にかけて航空管制官としてこの地で勤務していた。 総面積約506.9haのうち約395ha(全体の約78%)が綾瀬市で〔厚木基地の概要 . 綾瀬市. 2014年02月02日閲覧〕、残りが大和市である。 == 沿革 == === 日本海軍時代 === 帝国海軍が、主に帝都防衛の拠点として1938年に着工、1942年に完成した。東京に最も近い海軍の航空拠点として重視され、整備訓練航空隊である相模野海軍航空隊や、戦闘機操縦士練成部隊である厚木海軍航空隊が置かれた。太平洋戦争後期に防空隊である302空が開隊して以降は、陸軍の調布飛行場、柏飛行場、松戸飛行場、成増飛行場などと並び、首都圏防空の重要拠点として機能した。 1945年8月14日、日本がポツダム宣言を受諾し降伏を決定。しかし302空司令の小園安名大佐は、翌15日の玉音放送の後も降伏を受け入れず祖国防衛を目的として徹底抗戦を主張し、若い隊員たちも数日にわたって戦闘機からビラ撒きをするなど、厚木飛行場の部隊は反乱状態に陥った(厚木航空隊事件)。8月16日、米内光政海軍大臣の命により寺岡謹平海軍中将や高松宮宣仁親王海軍大佐、第三航空艦隊参謀長・山澄忠三郎大佐などが説得にあたるも、小園大佐ら厚木飛行場の将兵たちは首肯しなかった。 8月18日、小園大佐は当時罹患していたマラリアにより、40゜C近くまで発熱し、興奮状態が続いたため、8月20日に航空隊軍医長の手で鎮静剤を打たれ、革手錠をかけられ野比海軍病院(現在の国立病院機構久里浜医療センター)の精神科へ強制収容された〔〔小園の長男は、「マラリアではなく秋水の燃料補助剤を小園の寝室にまかれて錯乱状態にされた」と主張している(北沢文武『児玉飛行場哀史』文芸社、2000年)〕。 この厚木空の武装解除について政府首脳は以下の様に心境を語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「厚木海軍飛行場」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Naval Air Facility Atsugi 」があります。 スポンサード リンク
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