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原シナイ文字 : ミニ英和和英辞書
原シナイ文字[はら, もと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
文字 : [もじ, もんじ]
 【名詞】 1. letter (of alphabet) 2. character 
: [じ, あざな]
 【名詞】 1. character 2. hand-writing 

原シナイ文字 ( リダイレクト:ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字 ) : ウィキペディア日本語版
ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字[げんしないもじ]

原シナイ文字(げんシナイもじ)は、シナイ半島の (アラビア語: ) で発見された、青銅器時代中期 (紀元前2000年-紀元前1500年) の年代と推定される少数の刻文に使われている文字を指す。
最古の「原シナイ文字」刻文は、早くて紀元前19世紀、遅くて紀元前16世紀のものと推定される。「主な議論は早い時期である1850BCごろか、遅い時期である1550BCごろかで争われている。どちらの時期をとるかによって、原シナイ文字と原カナン文字のどちらが古いか、そこからの帰結として音素文字がエジプトとパレスチナのどちらで生まれたかが決定される」〔Simons (2011) p.24〕。青銅器時代の「原シナイ文字」およびさまざまの「原カナン文字」の刻文資料はわずかな量のものしか存在しない。青銅器時代が崩壊し、レヴァント地方に新しいセム系の王朝が勃興して、はじめて鉄器時代のフェニキア文字の直接の祖先である「原カナン文字」(ビブロス刻文)が現れる〔Coulmas (1989) p. 141〕。
いわゆる「原シナイ文字」は、1904年から1905年にかけての冬にシナイ半島フリンダーズ・ピートリー夫妻が発見した。これに加えて、紀元前17世紀から15世紀のものとされるさまざまな短い「原カナン文字」刻文がカナンで発見された。より新しくは、1999年:en:John Darnell:en:Deborah Darnellが中エジプトでいわゆるワディ・エル・ホル文字(ワディエルホルもじ、英語:Wadi el-Hol script)を発見した。紀元前19世紀から紀元前18世紀頃のものと推定される〔
"The two latest discoveries, those found in the Wadi el-Hol, north of Luxor, in Egypt’s western desert, can be dated with rather more certainty than the others and offer compelling evidence that the early date BC is the more likely of the two." (Simons 2011:24).〕。
== 石刻資料 ==

=== サラービート刻文 ===
原シナイ文字は、シナイの (アラビア語: ) と呼ばれる山と、その地にあるエジプトのハトホル女神の寺院で発見された落書きと奉納文によって有名である。サラービート山はトルコ石を産し、800年にわたって繰り返し採掘が行われた。こういった採掘坑の労働者や役人はナイル川デルタの出身で、その中にはデルタの東部に住むことを許された大量のカナン人(後期青銅器時代のの祖にあたる北西セム語を話していたと推定されている)が含まれていた〔。
トルコ石鉱山の中および近辺、およびハトホル神殿に通じる道で発見された岩石を引っかいて作られた刻文はヒエラティックまたはヒエログリフで書かれているものが多いが、そのうち40ほどがいわゆる原シナイ文字で書かれている〔"The proto-Sinaitic corpus consists of approximately forty inscriptions and fragments, the vast majority of which were found at Serabit el-Khadim" (Simons 2011:16).〕。
刻文の時代は通常紀元前17世紀から紀元前16世紀の間と考えられている〔Goldwasser (2010): "The alphabet was invented in this way by Canaanites at Serabit in the Middle Bronze Age, in the middle of the 19th century B.C.E., probably during the reign of Amenemhet III of the XIIth Dynasty."

〕。
4つの刻文は寺院の中の2つの人物像と小さな石でできたスフィンクスの両側に書かれている。乱雑に書かれており、これを書いた労働者が文盲であった可能性を示唆する。
1916年にはこの記号を音素文字であると仮定して、刻文のなかの文字列を (女神へ)と読んだ(〔バアラト。女神〕はハトホルの称号で、セム系の神の称号である〔バアル。主、神〕の女性形)である)。
石のスフィンクスに書かれたものは二言語の碑文であり、エジプト語の方は「トルコ石の主であるハトホル神の最愛の者」と読める。ガーディナーによると、原シナイ語の方は と読み、 の最後の t が欠けたものと見て、「女神の最愛の者」と読まれる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Proto-Sinaitic script 」があります。




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